概説日本経済史 三和良一 の試験対策ノートです。
殖産興業と松方財政
日本経済史 の勉強にどうぞ
殖産興業と松方財政
近代的生産技術の導入
明治初期の経済状態
・農業中心の産業構造を持っていた
・先進国に追いつくには農業の経済余剰を近代的工業生産の育成に投入することが必要だった
殖産興業政策
・殖産興業政策 … 以下4つの課題に対応すること
・近代生産技術を導入し移植すること
・そのための資金を集めることも課題
・そして、経営者、労働者を集めることも課題
・工部省(鉱山・鉄道・電信・製鉄など)の歳出が大きい
・内務省(繊維関係・農業など)
運輸・通信網の建設
・軍事的にも重要な意味を持つ
・アメリカの鉄道敷設権を拒否したうえで、官営鉄道の建設
→資金・技術的にはイギリスに依存していたが、外国の直接投資や事業経営を排除した点は植民地化を防ぐ上で高い評価ができる
==メモ==
中国はわかるが、朝鮮など植民地化を防げなかった国の敷設権や外資導入はどうなっているのか気になる
==
・電信も外国の直接投資を拒否して、官営方針を決定した
鉱山・工場の官営
・政府は幕府や諸藩が建設した軍事工場や鉱山を引き継いで直営とした
・1873年、日本坑法を制定し、日本人にのみ採掘を許可した
・1874年、佐賀藩が外国商会と共同経営していた高島炭坑を買収・官営化し外資を防いだ
・軍事工業以外でも、造船、機械・器具、セメント、ガラス、繊維など官営工場が設立された
官業払下げ
・政府直営事業は近代技術の移植という面では成果をあげた
・しかし、経営面では採算上赤字となるケースも多かった
・その結果、民間への払下げが実施される
・軍事工業と鉄道・電信を除いてすべての鉱山工場などを民間に払い下げた
→近代的起業家の誕生・財閥の誕生につながる
通貨金融制度の整備
新貨条例
・1871年 新貨条例 円・銭・厘の単位を用いることを決定
・1円=純金4分(1.5g)とする金本位制度を取ったが、貿易銀 1円=純銀24.26g として
・銀は国内では私的取引のみ許可
・貿易銀100円=本位金貨101円の交換比率としたため、実質的には金銀複本位制
⇒1878年からは貿易銀が普及し実質的には銀本位制になった
・紙幣も発行された
・紙幣は金との交換規定を持たない不換紙幣
⇒通貨価値の安定という意味では不安定なものであった
国立銀行条例の失敗
・不兌換紙幣を兌換紙幣に変えるためにアメリカの制度を参考に国立銀行制度を設ける
①5人以上の組合(株式会社)で一定元金以上の国立銀行を各地に設置する
②元金の6/10の政府紙幣で金札引き換え公債を購入して大蔵省に預託する
③元金の4/10を本位貨幣で準備する
④預託公債と同額の通用紙幣を大蔵省から下付して運用するが、発行額の2/3の本位貨幣を準備し兌換交換の請求に応ずる
・しかしこの政策はうまくいかず、第一(東京)、第二(横浜)、第四(新潟)、第五(大阪)の4国立銀行が設立されたにとどまる
国立銀行条例の改正 1876年
・政府は兌換制度の確立をあきらめ、通貨供給体制の確立に絞って「国立銀行条例」の改正を行う
①資本金の8/10を公債証書で大蔵省に預託する
②資本金の2/10を政府発行通貨で準備する
③預託公債と同額まで紙幣を発行できるが、発行額の1/4の政府通貨を準備し引き換え請求に応じる
・この改正は地租改正と秩禄処分と合わせて理解しなくてはいけない
・地租改正により貨幣需要が増えたが、貨幣の準備が間に合わず米価の下落を招いた
・一方、秩禄処分により1億7400万円の金禄公債が発行された。これらが紙幣発行に使えれば一挙に紙幣を普及できると画策
⇒とりあえずは成功した
・京都百五十三国立銀行の認可とともに、153行の資本金合計が予定額4000万円を超えたので認可は打ち切られた
私立銀行
・私立銀行は紙幣発行権を持たない
・国立銀行の認可締切後、激増
・1880年 横浜正金銀行が特殊銀行として銀貨の需給調整、次いで貿易金融目的に活動開始
大隈財政と松方財政
インフレーションの発生
・1877年 西南戦争鎮圧後、政治的国内統一を達成
・戦費は第十五銀行(華族出資による最大の銀行)からの借入金と政府紙幣2700万円でまかなった
・これに国立銀行設立ブームにより、紙幣流通量が一気に増加した。
・また大隈の積極政策(殖産興業)
⇒この3要因に(戦費・国立銀行・殖産興業)によりインフレが発生する
・大隈は政府紙幣償却する
・しかし、銀貨不足が原因ととらえていたため、輸入を減らし輸出促進をメインに対応した
大隈財政の転換
・インフレーションは政府歳入の実質的削減をもたらした
・増税政策に打ち出す:酒税、地方税、官業の払下げ、行政費の削減
・内国債発行案は承認されるが、政変により大隈は罷免され松方に引き継がれる
松方財政
・松方は内国債を否定、緊縮政策をとる
・不換紙幣の償却に走る
・売薬印紙税・醤油税・菓子税の新設、酒税・たばこ税の増税
・余剰金の多くを紙幣償却に充てた
日本銀行の設立
・1882年 日本銀行条例
・1883年 国立銀行条例の改正:20年の営業期間満了後私立銀行へ移行する
・1884年 兌換銀行券条例が発布
・1885年 兌換銀行券の発行開始
・1886年 政府紙幣の銀貨兌換も開始
デフレーションと農民
・インフレ期には地租が一定のため農民の可処分所得が増大した
→農業投資や消費の拡大
→輸入繊維の普及・米食(雑穀米ではなく)の普及が拡大した
・デフレでは逆行した
・所有地を売却する農民が発生する
・近代工業は未発達だったので、小作農家する場合が多かった
原始的蓄積の進展
・地租の金納化により農民が商品経済に接触した結果、インフレとデフレの影響に巻き込まれることとなる
→結果的には賃金労働者を生んだ
・「原始的蓄積」は地租改正以降の経済政策によって加速した
・同様に、資金の蓄積も銀行制度などの普及により広がった
→直営地を民営に引き払うことで確立された