日本経済史 経済学

概説日本経済史試験対策ノート7 日清・日露戦争と日本経済

投稿日:2019年5月7日 更新日:

概説日本経済史 三和良一 の試験対策ノートです。

日清・日露戦争と日本経済

日本経済史 の勉強にどうぞ

 

 

日清・日露戦争と日本経済



 

日清戦争と日露戦争

天皇制国家

 

・1881年 憲法制定

・1885年 太政官制から内閣制へ移行

・1889年 大日本帝国憲法

→立憲君主制として法治国家としての体制が整う

→しかし天皇の権力が京大で、基本的人権が制約されているなど未発達な課題が大きかった。
特に統帥権が独立した天皇大権であったことは、陸海軍部の発言力を強くするという影響を与えた

 

戦争と財政

 

・世界的に帝国主義時代の幕開け

・イギリス対ドイツを主軸にアメリカ・フランス・ロシアなどが植民地獲得に走っていた

・日本もこれに同調する

 

・戦争は財政規模を一挙に拡大させた

・日清戦争後

①陸海軍の拡張

②製鉄所の創立

③鉄道の改良

④電信・電話の拡張

⑤海運・造船の奨励

⑥特殊銀行設立(日本勧業銀行法、農工銀行法)

⑦台湾経営

⑧治水事業

⑨教育施設

 

・日露戦争後

①軍備拡張

②鉄道の国有と拡張

③製鉄所・電信・電話事業の拡張

④植民地経営

⑤治水事業

⑥教育施設の拡張

 

金本位制の成立

・1870年代 世界で金本位制が進み銀価が下がる→日本の輸出に有利。一方でブレが激しい。

・1897年 貨幣法 日本も金本位制採用
 



 

 

植民地経営

・日清・日露戦争で台湾、朝鮮、南樺太を植民地として獲得

 

台湾

・台湾での地租改正を実施、台湾銀行による金融制度の整備

・また米・砂糖の原産地として経営

 

朝鮮

・朝鮮では綿糸輸入と米・大豆輸入の貿易が拡大

・第一銀行韓国支店の銀行券発行、京仁・京釜鉄道建設など

・1910年 併合

・その後、食料(米・豆)・原料(綿花・皮革・鉱産物)基地、金地金供給地、輸出市場として経営

 

満州

・南満州鉄道を中心に鉄道・鉱山経営を行う

・鉄道沿線は基地としての役割も果たす

 

財閥と地主制

 

・1900年代後半に産業革命を終えた日本は独占へと移行していく

 

綿紡績業

・日清戦争後の第一次恐慌から企業合併が始まる

・1900年には79社あるが、1905~1911までに34社に減少

・上位企業の独占が始まり、カルテル・高関税保護・綿糸布のダンピング輸出などが行われる

銀行業

・1901年~1911年までに1867行から1613行になった

・のちの5大銀行は21.5%のシェアを獲得する(三井・第一・住友・安田・三菱)

 

財閥

 

・コンツェルンが日本でも成立する

 

・三井:両替商・呉服商として始まり、銀行・貿易・炭鉱から急成長。1909年 三井銀行・三井物産・東神倉庫・三井鉱山を所有する三井合名会社を設立。芝浦製作所・王子製紙・小野田セメント・堺セルロイドなども所有

・三菱:岩崎弥太郎が海運業を軸に多角化。日本郵船、鉱山・造船・銀行を育てる。1893年 三菱合資会社を設立。規模は三菱より小さい。

・住友:銅山経営を軸に発達。1909年住友総本店。銀行・鉱業・銅・鋳鋼・炭業・倉庫など。

・安田:安田善次郎が両替商から確立。三井・三菱・住友に比べると規模は小さい。

 

地主制と小作農制

・農業では地主制と小作農制が継続された

・小作地は1883年の35%から1903年には44.5%に上昇する

・自作農は37%から32.7%に減少する

 

・日本の農業は小規模な耕地を耕作して、家計を維持する農民によって担われた小脳性として発展した。

→欧米のように、資本制的大規模農場は発展しなかった
 



 

 

地主制の特質

 

・地主制=「半封建的土地所有」とする見解と、=「近代的土地所有に基づく土地貸借関係」とする見解がある

・前者は現物納・高率であることを指摘し、後者は地租改正により確立し耕地需要の高さから説明する

 

・半封建的土地所有説

・現物納・高率である

・身分的支配関係が残る(絶対王政にバックアップされた地主の社会的・政治的毛規制力)

・小作権に対して所有権が優位にある

 

・土地貸借関係説

・地租改正を評価

・賃借需要が高かったため高率である

・後発国日本の農業では、①初めから労働節約的技術が導入され、②軽工業が中心、だったので、成年男子労働力が不要であった

 

・本書では後者を支持

 

再生産の構造

 

1885~1910のの市場・産業構造の変化を見る

 

市場構造

 

・日本の再生産構造を、民間消費・民間設備投資・政府固定資本形成・政府消費・輸出とする

・民間消費が一番多きい(75%程度)

・1885~1910の間に、日本の人口は3831万人から4918万人に増え、個人消費支出は1.5倍になった

→高度経済成長期の個人支出増加が5年で1.5倍なので遅いといえる。

 

・企業勃興期の1885年から1890年では民間設備投資比率が上昇

・日清戦争を挟む1890~1900では政府部門が拡大

・日露戦争を挟む1900~1910では輸出拡大

 

==メモ==

輸出が増えたのは植民地経営か?

==

 

 

産業構造

 

・農林水産業は割合は下がっていくが比重は大きい

 

・生産量も増加するが、米供給が需要を超えてしまい、輸入額が上回った

 

・1910年における国内生産拡大の寄与率で農業から工業に移ったことは、資本制生産を軸とする時代に入ったといえる

 

貿易構造

 

・国内需要の拡大により1895年ごろから貿易赤字が拡大する

・絹は輸出黒字が続く→鉄鋼業の赤字を製糸業が支えていた

・綿も急激に成長するが、輸入も増加してしまっている

 

・輸出の拡大が必要であった → 勢力圏の拡張を必要とした

 

 

 

-日本経済史, 経済学

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事