概説日本経済史 三和良一 の試験対策ノートです。
日清・日露戦争と日本経済
日本経済史 の勉強にどうぞ
日清・日露戦争と日本経済
日清戦争と日露戦争
天皇制国家
・1881年 憲法制定
・1885年 太政官制から内閣制へ移行
・1889年 大日本帝国憲法
→立憲君主制として法治国家としての体制が整う
→しかし天皇の権力が京大で、基本的人権が制約されているなど未発達な課題が大きかった。
特に統帥権が独立した天皇大権であったことは、陸海軍部の発言力を強くするという影響を与えた
戦争と財政
・世界的に帝国主義時代の幕開け
・イギリス対ドイツを主軸にアメリカ・フランス・ロシアなどが植民地獲得に走っていた
・日本もこれに同調する
・戦争は財政規模を一挙に拡大させた
・日清戦争後
①陸海軍の拡張
②製鉄所の創立
③鉄道の改良
④電信・電話の拡張
⑤海運・造船の奨励
⑥特殊銀行設立(日本勧業銀行法、農工銀行法)
⑦台湾経営
⑧治水事業
⑨教育施設
・日露戦争後
①軍備拡張
②鉄道の国有と拡張
③製鉄所・電信・電話事業の拡張
④植民地経営
⑤治水事業
⑥教育施設の拡張
金本位制の成立
・1870年代 世界で金本位制が進み銀価が下がる→日本の輸出に有利。一方でブレが激しい。
・1897年 貨幣法 日本も金本位制採用
植民地経営
・日清・日露戦争で台湾、朝鮮、南樺太を植民地として獲得
台湾
・台湾での地租改正を実施、台湾銀行による金融制度の整備
・また米・砂糖の原産地として経営
朝鮮
・朝鮮では綿糸輸入と米・大豆輸入の貿易が拡大
・第一銀行韓国支店の銀行券発行、京仁・京釜鉄道建設など
・1910年 併合
・その後、食料(米・豆)・原料(綿花・皮革・鉱産物)基地、金地金供給地、輸出市場として経営
満州
・南満州鉄道を中心に鉄道・鉱山経営を行う
・鉄道沿線は基地としての役割も果たす
財閥と地主制
・1900年代後半に産業革命を終えた日本は独占へと移行していく
綿紡績業
・日清戦争後の第一次恐慌から企業合併が始まる
・1900年には79社あるが、1905~1911までに34社に減少
・上位企業の独占が始まり、カルテル・高関税保護・綿糸布のダンピング輸出などが行われる
銀行業
・1901年~1911年までに1867行から1613行になった
・のちの5大銀行は21.5%のシェアを獲得する(三井・第一・住友・安田・三菱)
財閥
・コンツェルンが日本でも成立する
・三井:両替商・呉服商として始まり、銀行・貿易・炭鉱から急成長。1909年 三井銀行・三井物産・東神倉庫・三井鉱山を所有する三井合名会社を設立。芝浦製作所・王子製紙・小野田セメント・堺セルロイドなども所有
・三菱:岩崎弥太郎が海運業を軸に多角化。日本郵船、鉱山・造船・銀行を育てる。1893年 三菱合資会社を設立。規模は三菱より小さい。
・住友:銅山経営を軸に発達。1909年住友総本店。銀行・鉱業・銅・鋳鋼・炭業・倉庫など。
・安田:安田善次郎が両替商から確立。三井・三菱・住友に比べると規模は小さい。
地主制と小作農制
・農業では地主制と小作農制が継続された
・小作地は1883年の35%から1903年には44.5%に上昇する
・自作農は37%から32.7%に減少する
・日本の農業は小規模な耕地を耕作して、家計を維持する農民によって担われた小脳性として発展した。
→欧米のように、資本制的大規模農場は発展しなかった
地主制の特質
・地主制=「半封建的土地所有」とする見解と、=「近代的土地所有に基づく土地貸借関係」とする見解がある
・前者は現物納・高率であることを指摘し、後者は地租改正により確立し耕地需要の高さから説明する
・半封建的土地所有説
・現物納・高率である
・身分的支配関係が残る(絶対王政にバックアップされた地主の社会的・政治的毛規制力)
・小作権に対して所有権が優位にある
・土地貸借関係説
・地租改正を評価
・賃借需要が高かったため高率である
・後発国日本の農業では、①初めから労働節約的技術が導入され、②軽工業が中心、だったので、成年男子労働力が不要であった
・本書では後者を支持
再生産の構造
1885~1910のの市場・産業構造の変化を見る
市場構造
・日本の再生産構造を、民間消費・民間設備投資・政府固定資本形成・政府消費・輸出とする
・民間消費が一番多きい(75%程度)
・1885~1910の間に、日本の人口は3831万人から4918万人に増え、個人消費支出は1.5倍になった
→高度経済成長期の個人支出増加が5年で1.5倍なので遅いといえる。
・企業勃興期の1885年から1890年では民間設備投資比率が上昇
・日清戦争を挟む1890~1900では政府部門が拡大
・日露戦争を挟む1900~1910では輸出拡大
==メモ==
輸出が増えたのは植民地経営か?
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産業構造
・農林水産業は割合は下がっていくが比重は大きい
・生産量も増加するが、米供給が需要を超えてしまい、輸入額が上回った
・1910年における国内生産拡大の寄与率で農業から工業に移ったことは、資本制生産を軸とする時代に入ったといえる
貿易構造
・国内需要の拡大により1895年ごろから貿易赤字が拡大する
・絹は輸出黒字が続く→鉄鋼業の赤字を製糸業が支えていた
・綿も急激に成長するが、輸入も増加してしまっている
・輸出の拡大が必要であった → 勢力圏の拡張を必要とした