概説日本経済史 三和良一 の試験対策ノートです。
高橋財政
日本経済史 の勉強にどうぞ
高橋財政
その時歴史が動いたで先取りするのもありですね
金輸出再禁止
満州事変と国際金融本位制崩壊
・1931年 満州事変により日本は15年戦争に突入する
・同年 イギリスの金本位制離脱をはじめに各国が金本位制崩壊(ドイツ:1931年、フランス:1935年)
ドル買いと井上蔵相
・日本も金輸出禁止が見込まれたため、ドル買いが強まった(金輸出禁止前にドルにしておき、日本円が安くなったところで円に戻す)
・井上蔵相は金輸出禁止はしないと声明した
・また、ドル買いをメディアは「国賊」と報じた→のちの財閥批判・テロリズム活動の導火線となった
・井上は強硬姿勢で成功しかけたが、浜口首相が倒れ、若槻内閣となって閣内不一致により総辞職
閣内不一致…安達謙蔵内相が軍部独裁を抑えるには政友会との連立内閣が必要と主張し、閣議に出席しなくなったこと
金輸出再禁止と為替下落
・首相に閣僚を罷免する権限はなかったので、若槻は総辞職を実施した
・しかし、西園寺公望は犬養毅を指名し、天皇制養護の観点から若槻を指名しなかった(=井上も終了)
・1931年 犬養は即日金輸出再禁止を実施
・その結果円相場は下落した
・昭和恐慌にあえぐ庶民は不信感を強くした
・結局、ドル買いはファシズムの温床を作り出しながら井上財政にとどめを刺した
高橋財政期の経済政策
経済政策の構図
・不況克服を重点として経済運営
・軍事費の抑制・財政の健全化という課題に取り組んだ
・政策を紹介し主要なものを掘り下げていく
前半期の政策
①有効需要の創出(軍事費拡大・時局匡救事業・船舶改善助成)
②輸入を抑え国内市場の拡大を図る(関税・低為替政策)
③輸出を促進し国外市場拡大を図る(低為替政策・満州経営)
④農村救済・中小企業救済を目的とする政策(低利資金融資・農産物価格支持政策)
⑤産業合理化(カルテル強化・臨時産業合理局など)
⑥金本位制停止後の通貨価値維持を目的とする政策(管理通貨制配備・外国為替管理)
⑦財政資金創出のための政策(赤字国債の日銀引受発行)
⑧金利低下を目的とする政策(公定歩合操作・公債利率引き下げ)
後半期の政策
①需要創出の抑制(軍備縮小) →大きな課題
②輸入抑制・輸出促進(円ブロック強化と対外通商政策)に中身が変わる
③農村・中小企業振興政策は展開に乏しかった
④産業政策は合理化の促進から生産能力の調整的拡大へと変化
⑤通貨価値維持と、⑥財政の健全化の両面から公債の縮減
⑦低金利政策の重点は低金利を他の金利に波及させること
軍事費と時局匡救事業
・有効需要としての軍事費は1930年の28.4%から1935年40.3%に上昇する。
→前半は伸び率が凄いが後半は緩やか
・時局匡救事業は5・15事件の衝撃で生まれる。
・農村救済・失業救済のスペンディングポリシーを持つ
低為替政策と関税改正
・金輸出再禁止とともに為替相場が下落
・1933年 外国為替管理法の制定
・低為替での貿易が進んだ
・関税も輸入品防遏(ぼうあつ)=国内市場の拡大を目指して引き上げを実施する
産業政策
・1932年 第一次船舶改善助成施設 →古い船の40万トンの解体と20万トンの新造
①過剰船腹を整理する不況対策
②船質を向上し海運競争力の向上
③新造船需要による造船不況対策
・第二次(1935年)、第三次(1936年)は不況対策ではなく日本商船の強化が主要な目的
・1933年には日本製鉄株式会社法が公布 → 日本製鉄株式会社設立
→世界的な競争力を獲得
・カルテルを容認する法律なったが、一方で価格の吊り上げなどを制限していた
→資本主義に国家が介入するという20世紀的資本主義の表れと言える
公債の日銀引受発行
・需要創出のスペンディングポリシーを可能としたのは公債の日銀引き受け
・同時に歳入補填公債(赤字公債)という財政史上初の措置も取った
①公債公募と違い、民間資金引き上げによる一時的なデフレ効果を排除できる
②日銀が引受公債を市中に売却することで、日銀券の過剰発行を避けることができる
・当初は好成績を収めた。1934年まではほぼ100%が市中に消化された
・しかし、景気が回復するにつれて、資金需要が拡大して日銀にお金が還流されなくなった→悪性インフレの危険性が上がる
景気回復
景気回復の要因
・日本経済は1931年を底として1932年以降景気回復に向かった
・1931~1932年は輸出と政府部門の需要増加寄与率が大きい
・1932~1933年は民間部門の伸びが大きい
→政府の刺激が「第一次衝撃」となり、それ以降は波及効果が大きい
・政府支出は景気一年目にしか作用しなかった
・輸出はその後も作用し続けた。低為替政策によるところが大きい
・井上財政期の不良企業の整理が日本の国際競争力を向上させたといえる
・また金融恐慌が日本では1927年に発生していたので世界恐慌での下げ幅が大きくなかった
貿易構造の変化
・絹の世界的地位が大幅に低下し、一方で綿の地位が上昇した
・重工業製品の輸出が上昇した
・輸入では重工業関連原料と石油などが伸長した
・貿易別相手国は、対ヨーロッパが低下し対アジアが上昇した
・アメリカの割合は輸出国としては低下し、むしろ輸入国として上昇した
・対アジアが大幅な輸出超となり、対アメリカが輸入超となったことが大きな変化
産業構造の変化
・重化学工業が伸長した
・重化学工業進行の要因:低為替と関税で輸入品に対する競争力が増えたこと
→重化学工業の進展は軍需ではなく平和的需要を基盤に増加したことがわかる(表11-6)
==メモ==
ブロック経済で列強各国で重化学工業は発達したのか?発達済みで効果なし?
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・重化学工業の弱点
・国際的には競争力は強くなく、アジア市場でしか戦えなかった
・機械を作る機械としての工作機械は弱かった
・乗用車は外資(フォード・GM・クライスラー)が強く日産・トヨタが苦戦
・軽工業では綿工業が主軸になった
・綿工業の成長要因:工場法による機械設備・生産性向上、低為替を武器にした輸出
・綿工業の弱点
・原料綿花は輸入価格上昇や対日貿易制限により限界があった
・一方人絹(レーヨン)工業は急成長を遂げ、世界第一位となる
独占体制の強化
・金融恐慌・昭和恐慌で独占が進む
・4代財閥(三井・三菱・住友・安田)は全国の10%資本が集中
・続く5大財閥(鮎川・浅野・古河・大倉・野村)は4.8%を集中
・また日窒・日曹・森・理研といった新興財閥も成長
・しかし、「ドル買い」の財閥批判や団琢磨暗殺事件などから「財閥の転向」の動きも見られた
→持ち株公開・財閥家族の引退・利益の社会還元など
→持ち株公開は資金調達方法の変更として、重化学工業への資金需要拡大の対応とも見れる
軍事費抑制と2・26事件
・高橋財政は公債引き受けによる軍事費拡大・軍国主義を招いたとの評価がある
・しかし、高橋財政は後半期軍事費抑制に力を尽くした
・高橋財政期には経済が平和的成長する選択肢が残されていたと見れる
・しかし、2・26事件はそれを暴力的に破壊し、経済軍事化を進めた