日本経済史 経済学

概説日本経済史試験対策ノート12 戦時経済

投稿日:2019年5月12日 更新日:

概説日本経済史 三和良一 の試験対策ノートです。

戦時経済

日本経済史 の勉強にどうぞ

 

 

戦時経済



 

ブロック経済と戦争

世界経済のブロック化

・各国は自国経済を優先して保護政策を展開

 

・アメリカ:ホーレイ・スムート法で農産物・線品を中心に高関税(1930)

・イギリス:オタワ会議(1932) → スターリング・ブロック

・ドイツ:東欧、南欧及びラテンアメリカにマルク・ブロック

・日本:植民地・半植民地市場確保に迫られる

 

日満支ブロック

 

・日満ブロックを出発点とする

・対満資金の枯渇から満州の経済開発1935年ごろから困難を迎える

→日産コンツェルンにより満州重工業開発会社が設立

 

・満州では十分な資源を確保できず、華北進出へと進めた

 

・1937年 日中戦争開始

→日満支ブロックを目指す

 

大東亜共栄圏

・1939年 第二次世界大戦がはじまる

・1940年 日中戦争の局面打開のため蔣介石ルート遮断のため、仏印(ベトナム)進駐

・1940年 日独伊三国同盟

 

・アメリカは屑鉄(当時は不可欠な材料)、石油の禁輸で対応

 

円ブロックの実態

 

・円ブロック内では円取引がされる → 中国へも円で決済される → 外貨を獲得できない → 対中貿易は制限された

・海上貿易は遮断され物資不足

・対南侵略の結果得た物資量は、米英蘭の輸入消滅より少なく物資不足に陥る
 



 

 

戦争経済と戦争経済力

 

経済統制への途

 

・高橋財政で回復した日本経済は不安定さも持っていた

 

・重化学工業は資源的基盤が弱く、輸入依存度が高い

・また高級工作機械などは質が悪かった

 

・人絹工業の発達は外貨獲得に貢献していたが、ブロック経済で輸出は制限され大きな課題になった

 

・また赤字公債の消化がうまくいかなくなり、日銀券膨張は激しくなりインフレが発生

・広田内閣、馬場内閣は公債漸減方針を放棄・低金利政策に進み経済政策を誤る

・この経済矛盾を解消するため政府による経済統制しかなくなった=輸入為替許可制(外貨流出の制限)を実施した

 

生産力拡充と財政経済3原則

 

・馬場財政はあまりに軍事費に寛大だった

・そのため財界は増税を恐れ強く反発した

→「軍財抱合」政策を開始:財閥と軍部の協調が始まる(1937)

 

・大戦争を意識して軍拡張を急いだ(当初はソビエトを想定)

・陸軍は「重要産業5ヵ年計画要綱」を提案(1937)

・同年、近江内閣は財政経済3原則を発表(生産力拡充・物資需給の調整・国際収支の均衡)

→生産力拡充が経済統制を要請することを表明したものだった

 

国家総動員法と電力国家管理

 

・1937年 第72臨時議会は戦争終了までを1会計年度とする臨時軍事費特別会計を設置

・臨時資金調達法の制定:株式・社債発行や会社の新設等が許可制となり資金投資が統制された

・輸出入品等臨時措置法の制定:政府の全面的統制制限(輸出入・生産・流通・消費)、実質上すべての物資に対する統制を可能にした

企画院の設置

 

・1938年 電力国家管理法を制定

・日本発送電株式会社を設立し、同社を国家管理する

 

経済統制の展開

・経済統制は物資・資金・労働の全面にわたって展開された

 

■物資

・物資動員計画:外貨獲得能力(輸入力)と海上輸送力による、物資総供給量を設定したうえで、軍需と民需に分配する

→総供給量が不足していることが常に課題となる

 

■資金

・軍需需要に応じながらインフレ悪化を制御することが課題

・戦費調達のために大量の国債発行 → 消化のために強制割当

・貯蓄の奨励

・しかし、軍需への投資は対民間散布ともなり、また物資不足のためインフレは止まらなかった

 

■労働

・兵力動員と軍需工業により、民間の労働力不足が発生する

・労働供給不足は賃金上昇に繋がり、インフレを加速させる可能性があったため賃金統制と労働力移動統制が必要だった

 

太平洋戦争

 

・「経済新体制確立要綱」(1940)

・東条英機内閣誕生(1941)

・戦争遂行の経済力について正確な見通しがないまま日本はアメリカに宣戦布告
 



 

 

戦争経済力の崩壊

 

・軍需品のみに経済的資源を集中した結果、軍需生産そのものの基礎を壊す結果となった

・繊維・食品業は減少、鉄鋼・石炭も減少

・民間消費は減少していったにも関わらず、民間生産力が減少し、全体生産力低下。完全な縮小再生産に陥った

・軍需は増加し続けた

・加えてB29による爆撃で日本本土攻撃され軍需工場も破壊された

 

戦時下の日本経済の変容

 

軍需主導の重化学工業化

 

・日本経済は重化学工業へとシフトした(軍需が主要)

・繊維部門の凋落

 

カルテルと統制会

 

・1941年 重要産業団体令:既存カルテルは統制会に組織され、官民協調

・1942年 金融統制団体令

 

==メモ==
・財閥は戦争を続けたかったのか?
財閥にしても自由競争ができず不満があったのでは?
利益が出ていたからウハウハ?
個人としては嫌だったかもしれないけど。。。
==

 

財閥の強大化と変容

 

・4大財閥への集中度は10.4%から24.1%へと変化した

・6財閥(鮎川・浅野・古河・大蔵・野村・中島)を加えると34.1% 重工業だけで見ると46.6%

 

・財閥の傘下企業への影響力弱体化や外部資金依存の高まりなど変容もした

 

地主制の凋落

・農地調整法(1938):自作農創出を目的

・小作料統制令:小作料引き上げの禁止

・小作米を小作農が直接政府に供出し、地主に支払うシステムに変化

 

労働運動

・労働争議・労働組合も激減した→産業報国運動(戦時精神運動)に吸収されていったため

 

国民生活

・実質個人消費支出は1935年から40%ダウン

・ドイツに比べて日本の低下は著しかった

・資源基盤の弱い日本が長い生活を続けることができたのは、「国民生活の水準を際限もなく切り下げる政策をあえてとり、ほとんどの国民が声もなく耐えたためであった」(中村隆英)→この社会的政治的圧力を日本ファシズムと呼べるだろう

 

・経済限界では日本ファシズムが最後の切り札として機能したといえる

 

 

 

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