欧米経済史 経済学

西洋経済史 試験対策ノート2 17~18世紀の経済危機と国家の形成

投稿日:2019年5月25日 更新日:

西洋経済史 奥西孝至 の試験対策ノートです。

西洋経済史 の試験対策ノートです。

17~18世紀の経済危機と国家の形成




以下の教材をまとめています。

 

 

試験直前などには使えるかと。

 

17~18世紀の経済危機と国家の形成

 

オランダ

地域格差の拡大と新興勢力

 

・16世紀末ヨーロッパでは政治的混乱

・宗教戦争中のハプスブルク家財政破綻、フッガー家の衰退

・フェリペ二世の統治に対する低地地方反乱の際のアントウェルペン陥落

・これらはスペイン・ポルトガル・ドイツ・南低地地方が衰退

 

・イギリスは自国で解決しようと海外へ進出

・オランダは低地地方の反乱で独立

 

低地地方の反乱とオランダの独立

 

・17世紀、アムステルダムが金融の中心となる

・しかし、17世紀末にはイギリス・フランスに主導権が移った

・金融市場の中心はロンドンになった

 

低地地方の反乱の原因

・フェリペ2世によるカトリック教の強化

・上記による課税強化

 

・北部7州はユトレヒト同盟で抵抗

・1648年 ウェストファリア条約にて承認

 

黄金時代のオランダ経済

 

・オランダの産業

・干拓地での牧畜や穀物生産などの農牧業

・北海のニシン漁などの漁業

・塩漬けニシン関連で発達した製塩業

・海運業や商業

 

・オランダは人口・経済規模ともに小さい国だった

・しかし南低地地方からカルバン派に限らず多くの商人や職人の移民が発生 → 毛織物工業などの発展を促した

 

商業

・バルト海貿易

・アジア諸地域

・カリブ海の植民地との貿易

が、柱となる

 

・1609年 アムステルダム銀行設立

 

・17世紀アムステルダムの金融システムは18世紀ロンドンとは異なり、制度的には中世イタリア金融業に近い

・しかし、アムステルダムには多様なタイプの金融機関が存在したため、資本流入が進んだ

 

オランダ東インド会社

 

・1602年 オランダ東インド会社設立

・オランダの植民地で最重要は香料諸島(インドネシア)。ジャワ島バタヴィアに拠点が置かれた

 

・1623年 アンボイナ事件 イギリスを香料諸島から撤退させる → イギリスはインド経営に専念

 

・東インド会社は長崎・マカオ・バタヴィアを結ぶ三角貿易を行った

 

・1621年 西インド会社設立

・カリブ海地域での植民地獲得を目指したが、スペイン・イギリス・フランスに勝てなかった

 

・これらの商人をコープマンと呼ぶ

・コープマンは国と結びつき貴族との婚姻など上位層となった

・一方小売は若い女性が売り子となることが多かった

 

開かれた社会

 

・オランダは移民を受けれ入れた

・人的ネットワークが強化・多様化した手工業製品 → 経済成長に繋がった

・また宗教的な寛容ども高かった

・さらに反体制知識人の亡命先ともなり、知識人のネットワーク拠点となった

 

オランダの衰退

 

・オランダの全盛期17世紀中ごろ

・1652年 英蘭戦争 の敗北が衰退につながる ← イギリスの 航海法・クロムウェル

 

イギリス

 

テューダー絶対王政とジェントリ成長

 

テューダー絶対王政

 

・イギリスは王権が強力だった

・百年戦争(1337~1453)、ばら戦争(1455~1485)により有力貴族が没落、テューダー朝が成立

 

・ヘンリ8世の婚姻問題を発端にイギリス国教会成立(1553年)

・修道院は解散させられ、王直轄地となった

・しかし、スコットランド・フランスとの戦争の軍資金としてすぐに売却された → 土地所有者の大幅な変化

 

ジェントリの成長

 

・土地を購入したのは貴族・ジェントリ・大商人といった層

・特にジェントリの躍進は著しい(全領土の25%だったものが50%程度に上がる)

・人口増加に伴う穀物価格上昇・土地所有インセンティブの向上

・土地の多くは貸し出していたため、地代を多く得ることはできなかった

 

・しかし、徐々に定期借地(期間を区切って土地を貸す)が増加した

→地主側にもメリットは大きかったが、借地農側もイノベーションを促す結果となった

 

イングランド内乱と名誉革命体制

 

17世紀経済危機

 

・17世紀の経済危機の時代、イギリスでは人口減少と穀物価格の下落が見られた

・1550年 300万人 → 1650年 520万人 → 1710年 500万人

 

・穀物価格の下落は食料需要に食料供給が追い付いた結果と言える

・経済停滞期は国レベルでは危機だが、家庭レベルでは実質賃金の上昇ととれる

 

農業革命

 

・囲い込みによる経営規模の拡大 → 効率的な農業生産と必要労働力の減少 → 都市の発展 → 経済成長

・この因果関係が真逆であるという論がある

 

・国際貿易による商工業化と都市発展に伴い、農業が発展したという考え

・アメリカ大陸からタバコ・砂糖などの輸入、イギリスの幼弱な製造業市場など

・非農業人口の拡大により、穀物価格が上昇

 

海外貿易の拡大

 

・オランダ・イギリスに同君がついたため、連合国に近くなる

・イングランド銀行は東インド会社・南海会社と並んで公債の引き受けを行う → 政府支出の拡大

・政府支出拡大により、効率的な証券市場が形成された

 

フランス

 

ブルボン朝の成立

 

・ユグノーとの対立が激しく内乱が続いたが

・1598年 ナントの勅令 により終結

・ブルボン朝成立 → ルイ13世、14世、15世、16世と続く

 

対外戦争と財政

 

・17世紀初頭のフランス:1900万人 ヨーロッパ最大

・三十年戦争など対外戦争に参入

・戦争は領土獲得に繋がったが、一方戦費調達のために、増税が行われた

 

・コルベールは重商主義政策をとり、貿易・産業促進を持示威

 

コルベール主義

 

・保護貿易的な政策・特権的な都市商工業者の育成

・ガラス・タピストリーなどの王立マニュファクチュアの設立

・宣誓ギルドによる輸入代替・輸出産業の奨励・輸入品に対する高関税政策・フランス東インド会社の貿易奨励・ケベックへの植民団派遣

 

スペイン・ポルトガル

 

・17世紀はこの両国の衰退の時代と言える

・オランダの独立、イギリス・フランスの反スペイン化、植民地競争に敗北

 

・農業形態が人口増加に追い付かなかったこと、モリスコ(キリスト教に改宗したイスラム教徒)

 

中・東欧

 

・ドイツ語圏は18世紀末・19世紀初頭までを近世と呼ぶことが多い

 

・多様性が西欧より際立っていた

 

三十年戦争と中欧経済の展開

 

中欧経済の繁栄

 

・ドイツ語圏では領域国家=領邦 が確立した

・13・14世紀はドイツ騎士団による植民活動が活発化

→大農場経営を展開、ハンザ同盟の交易網に結びつき輸出が活発化した

 

三十年戦争の勃発

 

・戦地となったこと経済発展が大きく後退する

・ウェストファリア条約により神聖ローマ帝国が解体

 

三十年戦争の影響

 

・経済の新しい動き

・地方主権国家の分立が発展のダイナミクスをもたらした

・つまり、ドイツの中心がオーストリアなど東にずれた

・また、グーツヘルシャフトの強化 → 農民の農奴化「再版農奴制」

・農奴制は西欧とは逆行しており、東西の地域さを決定づけた

 

ハプスブルク帝国とプロイセン王国

 

プロイセン王国の台頭

・ホーエンツォレルン家によりプロイセン王国の誕生

・フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は軍国主義を確立

・フリードリヒ2世は啓蒙専制君主と呼ばれる。重商主義を展開

・1701年 フリードリヒ3世が王を名乗る

 

ハプスブルク帝国の改革

 

・オーストリア継承戦争・7年戦争でプロイセンと対立

・マリア・テレジアは常備軍の強化や徴兵制など中央集権を目指した

・ヨーゼフ2世は農民解放やユダヤ人寛容令を発布 → 貴族の経済力低下を狙った

 

ポーランドの栄光と衰退

 

・貴族の天国・農民の地獄

 

・割愛

 

 

 

 

 

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