欧米経済史 経済学

西洋経済史 試験対策ノート6 第二次産業革命 の時代  

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西洋経済史 奥西孝至 の試験対策ノートです。

西洋経済史 の試験対策ノートです。

第二次産業革命 の時代

 




以下の教材をまとめています。

 

 

試験直前などには使えるかと。

 

第二次産業革命

 

第二次産業革命 新しい技術・新しい工業

 

第二次産業革命 時期区分と特徴

 

・1860年代後半から第一次世界大戦前までと定義されることが多い

 

・電気、電話、録音機、自動車、飛行機、カラー写真、アスピリン、「ホワイトカラー」など現在にまでつながる



テクノロジーの役割

・力織機やパドル法などは科学に基づいた発明ではなかった

 

・鉄鋼の大量生産、電機・化学などは科学的知識に裏付けされた新技術として発展

 

・欧米では国際博覧会が開催された

 

・プロイセンを先頭に工学教育が組織的に整備された

 

新製法・新製品・新産業

 

・19世紀前半ヨーロッパの工業生産は倍になったが、19世紀後半からはさらに加速し4~5倍

・化学工業と金属製品工業の急伸がある

 

「旧産業」との違い

 

①鋼の製造

・鉄と炭素(2%以下)の合金を指す。鋼を安価かつ大量に生産されるようになった。

・ヘンリー・ベッセマーにより、転炉での鋼製造法が開発。

・ドイツのクルップ、ティッセン、アメリカのカーネギーなどが巨大企業として成長した

 

②化学工業

・合成アリザリン、合成インディゴなどの占領をはじめ、多数の医薬品も開発

・ハーバー=ボッシュ法によりアンモニア合成が実現。→合成窒素肥料のため農業が飛躍的に成長」

 

③電気関連産業

 

・発電機と電気モーターの出現が世の中を根本から変えた

・1875年は1200名しか電気産業従事者はいなかったが、20年間に2万人にまで膨れ上がった

 

④内燃機関

 

・蒸気機関の科学的仕組みは第一産業革命ではわかっていなかった

・熱力学という新しい仕組みを促進させた

・1870年ごろからガス・ガソリンが使われ始める

・ダイムラー、ベンツよる高性能・軽量なガソリンエンジンが開発される

 

大企業の誕生 ドイツの経験とイギリスの衰退

 

1.イギリス経済の憂鬱

 

・ドイツ・アメリカの成長でイギリスの地位低下が進む

 

・イギリス転落の要因:主に旧産業に固執した

①新技術開発や導入に積極的でなかった

②蒸気機関に固執し、電気モーターの導入に消極的だった

③石炭産業の設備近代化を見送った

④科学教育・技術教育が質・量ともに遅れていた

 

・さらにイギリスでは大企業が登場せずに家族経営企業にとどまった

・アメリカ・ドイツでは協調的な行動(カルテルなど)でシェア確保する「協調的経営者資本主義」が成立した → 利益の確保、生産規模の拡大

・一方イギリスでは「個人資本主義」に固執して必要な組織能力の開発に繋がらなかった

 

2.異なる大企業形成

・ただし、イギリスでは成長が止まったわけではない

 

・ロンドンは国際的なコミュニケーションという意味で、世界の首都だった

 

大不況とヨーロッパ経済

 

大不況とは何だったのか

 

1.資本主義の変容か

 

・1873年 オーストリア、ウィーンをきっかけにほとんどの主要国で景気が反転した

・1896年 までを大不況といわれる

・この20年の不況は「The Great Depression」と呼ばれる

 

・これほど長期で国際的かつ多部門の産業にわたる大不況はこれまでなかった

 

2.大不況の本質

 

・大不況期も経済成長は続いていた

 

・であれば、深刻に受け止められた理由は以下の通りか?

・各国で伝統的に政治的発言力を行使してきた、農業セクターへの経済的打撃が大きかったこと

・旧工業から新工業への転換がなされたこと

・欧米の工業国の地位に大きな変化が見られたこと

 

変化の予兆 1851年 ロンドン万国博覧会

 

割愛



交易パターンに見る英独経済の地位

 

・ドイツは1830年代 典型的な工業製品輸入国、原料輸出国

・1850年代 輸入代替が進展したが輸出の大半は原料・食糧だった

・1880年代 以降 ドイツの工業輸出国化が定着する。工業製品の輸入は1割を切った

 

・イギリスの地位を失墜させた

 

・ドイツの経済的に突出したものの、関税政策は大農業経営保護を継続したことで、各国から不信感を買うことになる

 

キャッチ・アップの実態

 

・イギリス衰退の一方、後進国の経済成長は続いたため、各国間の差は詰まってきていた(キャッチ・アップ)

・イギリスが占める世界の製造産業の割合は30%から14%に落ち込んだ(1870年→1913年)

 

・産業部門別にみるとイギリスの衰退とは異なる事態が起きていた

・生産性では英独の差はあまり開きがなかった

 

・イギリスの衰退はあくまで相対的なものであり、他のヨーロッパと比べても生活水準は高く、継続的に上昇していた

 

ベルギーにおける社会構造の変化

 

・ベルギーでは所得格差の拡大が深刻化した

 

・ブリュッセルの銀行家を中心とする富裕層は南部地域への産業投資に加え、諸外国への投資を拡大させた

・高額所得者の10%が占める所得は全体の1/2(1867年)、全体の2/3(1880年)

・一方多くの労働者の状況が服役囚なみであると報告された

 

・ベルギーでは自由主義・カトリック・社会主義がそれぞれ組織される「柱状社会」と呼ばれる状況が生まれた

 

オランダの工業化

 

・オランダはベルギーに比べ工業化の時期が遅かった

・1870年代 本格的な工業化が進展した

・伝統的な海運・農業・通称・金融・植民地経営が19世紀後半までオランダを支えることができた

 

・工業においてはロッテルダムが穀物・石炭・石油の集散地として成長

・植民地経営と結びつく形で、ゴム、石油産業が急速に発展した

 

・1907年 ロイヤル・ダッチ・シェル社 設立

・食品では1929年設立のユニリーバがマーガリン製造から開始

・農業では化学肥料などを使って発展

 

・金融市場も成長を続け、ロッテルダム銀行(1863)、アムステルダム銀行(1871)など

 

・オランダでも所得格差は広がった

・自由主義・カトリック・プロテスタント・社会主義が柱状社会を形成した



工業国と社会政策

 

革命と労働者の台頭

 

・1848年 フランスの二月革命はドイツ語圏などに波及した

・労働者階級と労働者運動という概念で理解されるようになる

 

・1864年 第一インターナショナルが結成(ロンドン)

・1889年 マルクス主義のドイツ社会民主党を中心に第二インターナショナル結成

 

・労働者階級への対応として福祉国家形成の方向へと進む

 

・特にイギリスとドイツの事例を取り上げる

 

イギリスの社会政策

・イギリスでは貧民に対して三度大きな転換があった

・18世紀末のスピーナムランド制度(救貧法の制定)

・1834年の救貧法改正(改悪)

・19世紀後半以降の老齢年期法・国民皆保険法

 

救貧法の制定

 

・イギリスではドイツに遅れて法整備が進んだ

・16世紀 エリザベス1世が制定した救貧法は当初疾病や老人などを対象としていた

・18世紀末からは失業者が対象となった

 

・特に失業はイングランド南部の農業地帯で深刻だった

・1795年 イングランド南部のスピーナムランドの治安判事は最低生活費を制定し、差額を出費することを決定した

 

救貧法の改正

 

・19世紀に入ると救貧費が大きな割合を占めたため非難が相次ぐ

・1834年 救貧法改正

 

・非常に厳しい制度となる

・家族をバラバラに収容するなど、救貧院は監獄と同義になった

・救貧法の対象となることは恥辱であるとして最大限回避することで、救貧費を抑えることに成功(1948年まで続く)

 

互助組織の増大

 

・友愛組合や貯蓄銀行などの互助組織が増大した

友愛組織:会員が資金を出し合って、動けなくなった際に給付金を受け取る保険機能

 

社会保障の整備

 

・社会保険の重要性は労働者階級の声に加えて、南ア戦争でイギリス兵が戦争に耐えれないとされたことが大きい

 

・1799年 1800年 の団結禁止法は労働争議を逆に激化させていた

・1825年 新団結禁止法により団体交渉が認められた

・1855年 友愛組合法 基金が保護された

・1875年 平和的ピケは合法化された

・1884年 選挙法改正で農村の労働者も選挙権が拡大した

 

公衆衛生

 

・南ア戦争での「暗黒の一週間」でイギリス成人男性の身体障碍が明らかになった

・1906年 学校給食がスタート

 

・1875年 公衆衛生法 都市当局に公衆衛生を担当する部局の義務付け、上下水の整備など

 

・1830年~31年、1848年、1853年、1865~66年と相次いだこれらの流行は民間水道会社の過当競争が要因の一つ

 

年金・国民健康保険の成立

 

・1908年 イギリスでは非拠出年金が決定(ドイツは租税)

・1911年 国民健康法が成立:健康保険が制度化



社会問題とビスマルクの政策

 

社会問題の出現

 

・ドイツ語圏では前工業化時代の貧困の残滓として残っていた

・社会主義運動が台頭し労働者問題に対応した

 

社会主義運動に対する弾圧

 

・ビスマルクは社会主義に対しては厳しい態度

・鉄血演説:普墺戦争、普仏戦争を経て、ドイツ国(ライヒ)を成立

・戦争後、創立恐慌と世界大不況に見舞われ、保護主義的な関税の導入が始まった

 

・ビスマルクは社会主義者を弾圧した

 

社会保障法の成立

 

・しかし、ビスマルクですら労働者への生活状況改善に着手せざるを得ないほど悲惨だった労働者層の生活

・1883年 疾病保険法

・1884年 災害保険法

・1889年 傷病・老齢保険法

 

・欧米諸国でも先進的だった

 

改革の背景:官僚国家・企業社会・「講壇社会主義者」たち

 

福祉・福利制度の充実

 

・ドイツで進んだ理由

・社会主義への対抗

・ドイツの官僚的・軍国主義的体制:体液・傷病軍人に対する就職斡旋などの文化

 

社会思想の展開

 

・古典派経済学の行き詰まり

・マルクス経済など社会派経済学の普及

 

・プロイセン王国・ドイツ帝国では、大学教授は国家官吏だったため、社会政策学会の急進的な議論は「講壇社会主義者」とみなされた

 

・また「限界革命」というパラダイム変換から経済学へと展開した

 

 

-欧米経済史, 経済学

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