西洋経済史 奥西孝至 の試験対策ノートです。
西洋経済史 の試験対策ノートです。
世界大戦とヨーロッパ経済
以下の教材をまとめています。
試験直前などには使えるかと。
世界大戦とヨーロッパ経済
第一次世界大戦の経済史的意味
戦争の経済的背景
・メイド・イン・ジャーマニーの脅威:クルップ、AEG、バイエル、ヘキストなど
・個人主義的なイギリスとは違い、ドイツには「連合の精神」が見られ、カルテルも許容されていた
・対立の一方で、各国は相互に貿易の主要国だったため、相互依存を深めていた
戦局の展開・補給と総戦力
・短期化が予想されていたが長期化
・アメリカは中立を保っていたが、英仏への輸出で戦時ブーム
・1917年 ロシアで社会主義革命
戦後計画経済
・自由放任の資本主義経済から計画・組織化への移行は社会主義によるものではなく、戦争・総力戦という事態による。
■ドイツ
・公権力を背景に、金属・化学・繊維など個別の産業部門の戦時経済会社が設立される → 在庫の一元管理、原材料の配分、生産設備の再編と統制。さらに、輸出入の監督、公的発注と信用の配分を監督する委員会を設立。
・19世紀からカルテルが進行していたドイツでは組織が容易だった
■イギリス
・ロイド=ジョージのもとで、賃金統制、労働力移動制限、民間企業の利潤制限、企業間競争の排除が進んだ。
戦費と連合国間債務、ドイツ賠償問題
・戦費は国債発行によって賄われた。
・また、戦時超過利得税のような新税が設立され、その累進性から富裕層が没落した
・戦費のうち租税で調達できたのは、イギリス20%、イタリア16%、アメリカ23%程度。ドイツ・フランスは2%。
→ドイツ・フランスではスーパーインフレにつながる
・日本はこの機会に債務国から債権国に大転換した
・アメリカからの債務はイギリスが最大だったが、イギリスはフランスやイタリアへの債権があり問題ない。
・しかし、フランスは英米に対する返済能力が不足していた。また、ソビエト・ロシアへの債権も不履行になる可能性が高かった。
→フランスは「ドイツ人に払わせろ」が合言葉となった
・ヴェルサイユ条約によって、ドイツは領土の割譲、海外領土、経済権益の没収、船舶・軍備・資材の賠償、占領経費の支払いを受け入れさせられた。
・ドイツは1320億マルクの支払いを確定されるが、ドイツがこの支払に窮すると1923年フランスはルール占領に出る
・1924年 ドーズ案による支払賠償軽減・外資導入容認を提示。アメリカ資本のドイツへの貸し付けとドイツによる賠償金支払い、連合国による対米債務支払いと連結させる枠組みが生まれた。
ソ連社会主義経済の形成
・1917年 社会主義革命
・社会主義の計画経済:恒常的な戦争経済(スカー・ランゲ)
■農業
・1917年 「土地に関する布告」で地主から土地を収奪
・1921年 新経済政策(ネップ)により余剰穀物の自由販売が認められた
・1927年 農業集団化、コルホーズ(集団農業)により、従わない農民は強制収容所へ送られた
・トラクターなども国営管理とされた
■工業
・フランス、ベルギー、ドイツなどから直接投資で発達した近代工業は、ソビエト政権によって接収された
・1925年 農業国から工業国への転換を打ち出す
・1928年 第一次後ヵ年計画
・中央計画経済は工業化・軍事力拡大に貢献
・識字率の向上も見逃すことはできない
1920年代の繁栄から世界大不況へ
戦禍と復興
・戦死者は、ドイツ:200万人、ロシア:170万人、オーストリア:150万人、フランス:140万人、イギリス75万人、イタリア75万人、アメリカ11万人
・アメリカ、イギリスでは休戦後すぐに民間主導の平時経済への転換が始まったが、ドイツ・フランスでは戦時経済との決別に時間を要した
世界貿易の停滞
・1920年代は工業生産は回復したものの、貿易は停滞していた
・1930年代は工業製品の貿易は絶対量も縮小した
・貿易縮小の要因
・保護主義の台頭:イギリスはマッケナ輸入関税(1915)から保護主義へ移行。産業防衛法(1921)によって主要品目に33%の関税を設定した。この保護主義は1930年代のスターリング・ブロック、金ブロックなど排他的経済ブロックに繋がる。
・地政学的理由:アメリカはイギリスと違い自給自足的経済構造を持っていた。ロシアも世界経済から切断された。またオスマン帝国も解体し、国々はみな自国産業保護を追求した。
・農工格差問題:農工製品の価格差により、農産物輸出国は工業製品輸入が困難になり、世界貿易が停滞した。←農業の下落は戦争による人口増加の停滞か。
ヨーロッパの復興、失業、旧秩序の解体
・大戦前の経済的富裕層の凋落と大衆社会化が進んだ ← 大戦前後に各国で導入された累進制の所得税や相続税が原因
・しかし、ヨーロッパから失業が社会問題となっていた
・1920年代、都市が十分に新しい雇用を提供できていなかった
・世界大不況が始まると、伝統的産業部門はいっそう衰退。石炭・鉄鋼・造船・繊維の伝統産業地域で高い失業率を記録
アメリカの繁栄とヨーロッパの遅れ、産業構造の転換:新産業と旧産業
・1920年代 ヨーロッパの成長率が103の中アメリカは127
・自動車、電機、化学など新産業が脚光を浴びた
・ヘンリ―・フォードはT型自動車の販売を始めた。ベルトコンベアによる流れ作業方式による大量生産・低価格化・高賃金に成功した。
・エネルギー部門では石油消費が急増。電力が普及。
・電力による中小工場の機械化促進
・映画産業も急伸し、プロパガンダに利用された
大企業体制と経営管理組織
・大規模経営の起源は19世紀半ばの鉄道事業によるものが大きいが、一般製造業は19世紀末の企業合同運動 → この際、J.P.モルガンなどの活躍があった
・「経営戦略と組織」(A・D・チャンドラー)(1962):企業管理組織の発展
①職能未分化の単一事業組織 → ②集権的職能部門制 → ③分権的事業部制
世界的大不況とヨーロッパ経済
アメリカのバブルとその崩壊、ヨーロッパへの波及
・1920年代 好調だったアメリカの住宅や耐久消費財の需要は1926年頃をピークに緩やかに下降した
・一方株価は高騰を続け、1929年 バブル崩壊する
・1920年代 ヨーロッパの投資拡大が続いていたが、バブルによってアメリカ国内の投資が増加していた。しかしバブル崩壊によって、対外資産の引き上げが加速し、資本流出が拡大した
・1930年 アメリカがスムート=ホーレー関税法により保護主義を明確にすると、ヨーロッパからの輸出は困難になった
・アメリカの需要減少により、ヨーロッパ・中南米の不況は深刻になった
・アメリカ・ドイツでは生産が半減
金本位制とその呪縛・30年代の経済政策
・金本位制度の条件:個人・国家による自由な金流通、ならびに通貨価値の金表示と兌換
・第一次世界大戦とともに金の輸出入が禁止され、金本位制が停止されたが戦争終結とともに金本位制を再建し、通貨価値を安定化させる試みが開始された
・イギリス:1924年 金本位制復帰
・ドイツ:1924年 金本位制復帰
・フランス:1928年 金本位制復帰
・日本:1930年 金本位制復帰
・バブル崩壊によって金本位制が崩壊し、ニューディール政策やナチス政策は通貨価値を犠牲にする財政政策を実施した
・ニューディール政策:TVA(テネシー川渓谷開発公社)設立、全国産業復興法(NIRA)・農業調整法(AAA)によるカルテルの結成を図る(憲法違反により廃止)
・ナチス政策:労働者の政治活動を禁止する一方、高速道路建設、軍需拡大により需要増加をもたらした。
・これらの政策は金本位制の放棄・管理通貨制度の採用により可能となったといえる
ブロック経済と世界貿易の縮小
・1930年 アメリカ:スムート・ホーレー関税法
・1932年 イギリス:関税法・オタワ協定 → 帝国内特恵関税法
・フランス:植民地との貿易を重視
・1932年 ロンドン会議:世界的な関税戦争・通貨切り下げに終止符を打つための会議をするが、失敗 → これ以降ドル・ブロック、スターリング・ブロックが発展
・ドイツは中・東欧への侵略を英仏に認めさせようとする → ミュンヘン会談でチェコ侵攻を認める
第二次世界大戦
戦局と経済
・1939年 ポーランド侵攻
・1941年 真珠湾攻撃
・第一次世界大戦の物資不足の反省から、第二次世界大戦ではドイツは占領地からの収奪によって解決しようとした。
・当初は一方的な徴発が中心だったが、占領地の政権を対独協力に巻き込み、特にフランスのヴィシー政権は労働力をドイツに供給する役割を果たした。
・しかし、占領地の物資は不足していた。
・アメリカの物量を得た連合国は戦線を押し戻した
・1939年 中立法改正 により 英仏への武器輸出開始
・1941年 武器貸与法 によりあらゆる国への武器を貸与。500億ドルに達した。