日本経済史の分野別まとめです
概要の方は一旦終わったので細かく見ていきます。
今日は 高度経済成長期の成長産業 についてです。
主に鉄鋼産業と自動車産業について扱います。
詳細とまでは言えない内容ですがご容赦を。
高度経済成長期の全体のまとめはこちらの記事で
参考資料
現代日本経済 第4版
橋本 寿朗 (著), 長谷川 信 (著), 宮島 英昭 (著), 齊藤 直 (著)
目次
高度経済成長期の成長産業 まとめ
まとめから!
鉄鋼業:海外からの輸入価格を下げるためにあれこれやった。寡占状態での熾烈な競争、新技術導入。これにより世界一へ。
自動車産業:軽自動車が国内でヒット!原油高で世界的に低燃費が求められてアメリカシェアを獲得
高度経済成長期の成長産業 鉄鋼産業の発展
鉄鋼産業発展の概要
・戦前はドイツ・アメリカ・イギリスと肩を並べた日本の鉄鋼業は、戦時期に民間企業が激減した。
・日本鉄鋼業の発展の上で重要となるのが、「高炭価問題」→原料高をいかに克服するか。
①アメリカ技術の移転:GHQによる鉄鋼業指導、日本からの技術視察など
②安価なオーストリア産資源の積極採用、それに伴う臨海工場設立、さらに工場用地節約型のコンパクトな工場レイアウト開発、継続的な新技術の導入
・この結果、日本の原料費は欧米とほぼ同じになっただけではなく、連続式ストリップ・ミルの導入、高炉の大型化と高圧操業、LD(BOF)転炉、連続鋳造、炉頂圧発電などの技術輸入・採用。
・1965年には西ドイツに並んで世界最大の鉄鋼輸出国となり、以後単独首位をキープした。
高度経済成長期の成長産業 自動車産業の発展
自動車産業発展の概要
・日本自動車産業の優位性は、1)開発スピードの速さ、2)効率性の高さ、にあったとされている。
①なぜ日本の自動車は開発が速く、効率が良いのか、②世界市場で優位性を持ったのはなぜか
が論点となる。
自動車産業の発展の歴史
(概要)乗用車市場は消費者には手の届かないものを作っていたのでミスマッチが起きていた。
新規参入の富士重工がそれを解決する軽乗用車を開発し、自動車産業は拡大していく。
初期の自動車開発
・日本では戦前から乗用車生産経験のあるトヨタ、日産が先発した
・トヨタは1947年に「トヨペット」を開発
・日産はイギリスのオースチン社と提携して、1952年にノックダウン生産を開始し、1955年には国産化を完了した。
・当初は乗用車があまりに高価で国内需要はなかった。
・日本のモータリゼーションに火をつけたのは軽乗用車の登場だった
軽乗用車の登場
・軽乗用車の代表:スバル360(富士重工)を1958年に開発
・金額が42万円程度と小型車の半額以下であった。
なぜ日本の自動車は開発が速く、効率が良いのか
・1960年代には所得水準の向上により、消費者の選択肢が広がり小型車も選択肢に入った。
例)日産のブルーバード、トヨタのコロナなど。
・新製品の成功・不成功によって販売台数が大きく変動した。
①消費者の好みの変化が激しい
②少数モデルが激しく競争した
③頻繁に大幅なモデルチェンジが必要となった
・したがって、製品開発のリードタイムの短縮、および開発生産性の向上が必要となった。
・また、下位車種から上位車種までフルラインの製品開発が必要となった
世界市場でのシェア獲得へ
小型車需要の上昇
・1970年代から輸出が本格化した
・アメリカ市場が中心となった
・アメリカ市場の製品構造は大型車に偏っていた
・日本メーカーは小型車を中心に新規開拓を行った
・アメリカのビッグ・スリーは小型車以降へのインセンティブが働かなかった
・1970年代、燃費の良い小型車需要が拡大した
・第一次石油危機によりアメリカ政府は燃費規制を開始
・第二次石油危機によりガソリン価格が向上
・ビッグスリーは小型車導入に際して、品質問題、価格問題をクリアできず参入に苦労し1980年代には断念した
世界市場で優位性を持ったのはなぜか
①アメリカ企業が小型車市場の将来性を軽視していた
②小型車新技術の応用・改良が遅れた
・GMなどは大型車などの優れた技術があったため、小型車への技術移転が遅れた
・一方日本は、素早いモデルチェンジなど国内で得た能力がそのままアメリカ市場で有利に働いた
・また小型車開発が主流だったことも活きた