日本経済史 経済学

19世紀 近代的金融システム の形成と企業金融

投稿日:2019年7月3日 更新日:

日本経済史の分野別深堀です。

 

今日は 近代的金融システム の形成と企業金融 について。

 

参考文献はこちら

日本経済の歴史3 近代1 19世紀後半から第一次世界大戦前(1913)

岩波書店

 

 

近代的金融システム の形成と企業金融

 

金融制度の構築と発展 概観

 

銀行業の成長 概要

 

・明治政府は大きく3つの産業に注力した。

①製造業:殖産興業で初期に実施したが実質民間が勝手に成長

②鉄道業:ある程度の補助はしつつ民間に任せたが、軍事的理由で国営化

③銀行:紙幣発行の特権を与えたり、無利子の官公預金を預け入れするなど初期には手厚い保護をしたが民間企業として成長した。

 

・国立銀行は第153銀行まで設立された。

・その後は私立銀行や類似銀行が増加した。

 

・1875年には資産の71%を現金通貨が占めていたが、1880年では39%、1995年では20%まで下がる

・代わりに上昇するのが預貯金。

・有価証券も成長する
 



 

 

保険業の成長 概要

 

・銀行が金融組織の中心であったが、保険業も成長する

・1879年 損害保険会社設立

・1881年 生命保険会社設立

 

国立銀行

 

第一次 国立銀行条例

・1871年 新価条例:金本位制を掲げるが実質的には金銀複本位制だった

・1872年 国立銀行条例:国立銀行の設立を認可制で開始。はじめは5行が開始した。

・この条例の銀行は完全な株式会社だった。

・第一次国立銀行設立は以下の理由で進まなかった

①準備率が66.6%と高くそんなに金持ちはいない

②世界的に銀価格が暴落し、金が海外に流出していたため

 

第二次 国立銀行条例

 

・厳密には国立銀行条例改正(1875年)

 

・準備率は4分の1に下げられた

・また華氏族に金禄公債証書発行条例を発布し、銀行資本家へ転身させる目論見がうまくいく

 

私立銀行と銀行条例

 

・1876年 三井銀行が私立銀行第一号として設立

・1877~1878年 は国立銀行がブームとなったが、上限に達すると1879年以降私立銀行が大幅に増加する。

 

 

日本銀行と特殊銀行

 

・中央銀行が必要となった理由

①国立銀行は地域金融機関としての色彩が強く、地域間の資金流通・調整が必要だった

②インフレの抑制と貨幣量制御のため
→ 国立銀行券の発行、西南戦争でインフレ発生。

 

・松方は短期金融の商業銀行と長期金融の特殊銀行の並立という銀行分業主義を構想した。また短期金融の調整として日本銀行を構想。

 

・短期金融は手形割引の活用を図ったがうまくいかなかった

・一方で長期金融では、1900年前後に特殊銀行が次々と実現される

・1897年 日本勧業銀行:豪農を中心とした農業・在来工業の発展のため
・1897年 農工銀行:中小農の支援
・1900年 北海道拓殖銀行:中小農の支援
・1902年 日本興業銀行:借り手の保有する株式を担保に普通銀行が株式投資資金を貸し付ける想定が普通銀行と業務がかぶり反対にあって、うまくいかなかった

 

金融機関の発展過程における特質

 

・日本の金融機関の発展には商人の蓄積資金・金融ノウハウ及び各種情報が大きかった

 

・江戸期の両替商が一部銀行業務をしていた。毎回両替するより一部預けといた方が楽だなって。

 

証券市場と金融市場の発展

 

・日本で最初の証券取引制度は1878年の株式取引所条例で大阪と東京に設立

・当初は国債の取引と価格形成が主な目的であった。すなわち金禄公債などの価格低下を防ぎ、彼らの生活安定が目標となっていた。

 

明治期の企業金融

 

金融構造

金融資産の推移(1885~1940)

・現金預金残高:1900年までGNP比40~50%で推移していたが、1905年以降は増加し1915年には80%を超えている。これは積極的な貸し出し活動を行っていたから。

・有価証券:1890年代初頭までは公債の割合が高いが、日清戦争後からは株式が追い抜き戦時期まで続いた。日露戦争では外債発行が多いため再び公債が増えるが第一次世界大戦の好況で再び株式が増加する。特に1920年代から30年代にかけて大きく成長しており、経済成長の初期段階から資本市場が成長したといえる。

 

有価証券の構成推移(1870~1940)

 

・1870年代は秩禄公債・金禄公債により公債発行が高い

 

民間企業の資本構成

 

・第一次世界大戦までは借入金が60%以上を占める(1880年代までは90%近く)

・企業勃興期に株式が大量発行される

・株式は重要な位置を占めていた

 

・財閥系企業は自己資本比率が高かったものの、株式公開をせ自己金融による資金調達を行った

・また外部資金調達も傘下銀行や横浜正金銀行からの借り入れに頼っていた。

 

資本市場 株式取引所の発展過程と機能

 

発展過程

・1878年 東京と大阪の取引所設立以降、前項各地に中小含む取引所が設立される(40以上!)

・しかし地方の取引所はすぐに統廃合を繰り返したため、00年代後半には10か所程度に落ち着いた

 

・1890年代までは国債取引が中心

・1900年代には株式が同程度まで成長する

・第一次大戦後の戦後ブームでは株式が主流となった

 

取引所の機能

 

・取引上の機能を有価証券に関する情報がどれだけ証券価格に織り込まれているのかという情報効率性検定によって評価する

・1900年1/5~12/29 は高い機能を果たしたといえる

・1969~74年よりも良い数値といえる

・しかし、企業収益についてはあまり織り込まれていない。(ROAやROEなど)

 

・また取り扱い株式は1878年4種から1925年には892種に増えている

 

・資本市場の発展を背景にして企業は資金調達を自由に行うことができる土壌が誕生していたといえる。

 

明治期企業金融の特質

 

上記のように株式が発展したのはなぜか。

その理由は

①株式担保金融

②株式分割制度

の存在にあるといえる

特に②が重要

 

①株式担保金融

 

…株式を担保にした銀行による貸し付け。借主が元手で株式を購入し、その株を担保にさらに株を買う。これの繰り返し。

 

・銀行の担保は1890年代まで60%を株式が占める

・しかし、1890年代、担保品付き手形割引制度により、指定銘柄のリスクプレミアムが低下したことで終息する

 

②株式分割払込制度

…銀行設立の出資の際に株式を分割して払い込むことが認められた。さらに1899年額面の4分の1を払い込むことで株式会社の設立が可能になる。
追加払い込みは期日があるのではなく、満額払われるまで増資ができないということなので、裁量的に資本を拡大できた。

→リスクを取れば投資の原資が少なくても株式の購入ができる

 

・株式分割払い込み制度は設備投資を増大させた。

 

企業統治

 

・1910年代以降は社債での資金調達が増加し、円滑な資金調達により規模を拡大させた

 

・大規模化した企業は経営と所有が分離していった

 

企業の所有構造

 

・明治期の株主は主として個人投資家
 



 

 

企業の合併・買収

 

・合併・買収により企業体質が健全化される効果がある

・とりわけ綿紡績業・電力業・鉄道業で合併・買収が活発だった

 

綿紡績業

 

・設備や工場は新しいが収益性の低い企業の買収が行われた

・中間管理職は相対評価にさらされ、比較された

 

 

電力業

・資源再分配による収益拡大

 

 

 

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