日本経済史の分野別深堀です。
今日は 産業革命期の鉱工業 について。
参考文献はこちら
日本経済の歴史3 近代1 19世紀後半から第一次世界大戦前(1913)
岩波書店
産業革命期の鉱工業
資本主義的な生産組織の形成
産業化の始まり
・1880年代から産業化が進んだが、地方は低賃金だったため投資を受けるにあたって有利だった。
・そのため、都市と同様に地方にも近代産業は立地した
・第一次世界大戦以前は都市と地方の間に労働生産性の格差は拡大していない
「産業革命」
要素市場の自由化
・全国平均賃金の成長率は1920年代に成長した
・一方で1890年代には農工間格差が明確だった
・どちらかを「産業革命」とするのではなく、両者とも経済史上重要と捉えるべき
製糸業の勃興
市場から組織へ
・1859年に自由貿易がはじまると、在来の製糸業は最大の輸出産業となった
・当初はイギリス経由でフランスに輸出され、スエズ運河開通後は直接フランスに輸出された
・しかし、中国糸に技術的にも気候的にも劣っていたため、輸出は衰えていく
・1880年代初めまでは、品質が不揃いで管理を欧米貿易会社に依存していた。欧米企業にとっては品質管理もビジネスチャンスとなっていた。
・その状況を変えたのは、長野県諏訪郡において片倉兼太郎をはじめとする製糸化が結成した、開明社
①亀井正鹿野製品の仕上げと検査は結社の共有工場で行う
②製品の全量検査を行い、一定の品質に達した商品にのみ「開明社」の商標を貼る。それ以外には二番手商標など
③売上金の配分は検査結果に応じて行う
・これはアメリカ市場に歓迎され、長野県の製糸は高い値段が付いた
・1884年にはアメリカ市場への輸出がフランスを上回る
製品の差別化と労働生産性の上昇
・1880年代の近代製糸業は労働者一人当たりの生産量において在来製糸業を圧倒するものではなかった
・開明社の設立以降は器械糸の優位が発生
・これにより、北関東では原料繭を器械製糸業に販売することを決める
・長野県諏訪郡では賃金も上昇し続けるが、製品の差別化・品質向上によってそれに応えた
個別労働者の制御
・開明社の品質管理に答えるため、工場では個人に対してまで管理を行った
・そのため誘因賃金体系が用いられた。品質の高いものをたくさん作ったものにはボーナス!
社会に与えた変化
・長野県の女子労働者の賃金は都市の中級層を上回っていた
・高給だがハイプレッシャーだった。(昼飯は自発的に立ち食い、胃腸病の多発など)
・結婚退職して農家に嫁いだ後は、亭主持ちの窮屈に耐えられず、離婚は多かった
(労働よりつらい結婚っていったい・・・)
・女性が父兄より稼ぎ、夫を蔑する傾向があると吐露する報告(農商務省農工局)
諸産業の勃興
綿紡績業
・1882年 大阪紡績会社設立 最初の成功
・戦間期には中国へ直接投資し、中国シェア獲得に成功する。本国同士の生産性で言えば、英米に劣っていた日本が勝ったのは、近代日本の労働組織管理手法が東アジアに適したからではないか。
織物業
・1900年代まで、綿織物業は在来綿織物業が強かった
・化学染料の導入は製品差別化の技術を大きく変え、1910年代までにピークを迎える
・しかし、1920年代以降は工業化と労働市場の統合により、農村賃金が上昇し在来の織物業は競争力を失い、力織機へと移行が進んだ
漸進的な技術導入
1900年代における工業の概要
・石炭と銅の国内産出額は1909年時点で8割に及んでいた
・石炭と銅は輸出品としても主要な商品だった
産銅業における技術進歩概要
・選鉱工程の機械化:金づちで粉砕し竹ざるで選鉱していたが、それが機械化。
・製煉工程の機械化:1887年 古河による電気精銅法開始。その後大阪電気分銅会社により実用化
・採鉱家庭の機械化は1910年以降:削岩機の導入
炭鉱業における技術進歩の概観
・排水ポンプの導入:目尾炭鉱ではイギリスのスペシャル式ポンプが導入される。しかし他企業は安価な国産を利用。品質は劣るが使えた
・採炭過程では機械の導入ではなく、採炭方式が近代化した。
・天井の落盤を防ぐために炭柱を残さなくてはならないが、残しすぎると採掘量が減る
・イギリスで行われていた、長壁式採炭法の導入により採炭量が向上する
・また、採炭も1920年代には機械化が進んだ