日本経済史 経済学

交通革命と明治の商業

投稿日:2019年7月17日 更新日:

日本経済史の分野別深堀です。

 

今日は 交通革命と明治の商業 について。

 

参考文献はこちら

日本経済の歴史3 近代1 19世紀後半から第一次世界大戦前(1913)

岩波書店

 

 

交通革命と明治の商業

 

交通革命と日本

 

・世界貿易は汽船・鉄道・電信などにより、急速に発展する

・特に1850年代から60年代にかけて、複式機関を搭載した汽船の開発と、スエズ運河の開鑿、大陸横断鉄道の建設、海底電信ケーブルの敷設といった技術革新の影響は大きい

 

第二節:アジア市場における日本商社の成長

第三節:ヒト、モノ、カネの迅速な移動を可能にする近代的輸送機関について

第四節:情報流通の発展・郵便制度や電信など

第五節:それらの社会的影響

 

汽船海運と外国貿易

 

アジア市場の再編とアジア間貿易の拡大

 

・東アジア市場は交通革命の進展によって大きな構造的変化を遂げた

・1860年代後半の二段階膨張エンジン、70年代の三段階膨張エンジン

・また1869年のスエズ運河、アメリカ大陸横断鉄道による交通網整備

・アジア市場の貿易担い手も変化した

・ジャーディン・マセソン紹介やデント商会などの巨大商社による支配体制は揺らぎ始め、スワイヤ商会などが伸長した

 

汽船による沿岸航路網の形成

 

・明治政府は沿岸航路からの外国船の排除を企図したが、困難だった

・そこで、日本国郵便蒸気船株式会社を設立して米の輸送に従事させた

・しかし、経営不振により解散し、政府は新たなパートナーを探す

 

・1874年の台湾出兵以降三菱への保護政策が強まり、アメリカを上海航路から撤退させる

・三菱は全国に航路網を広げた。国の保護もあり独占状態が続く

 

・貨物の運賃に加え、貨客サービスの価格も低下したため、競合関係にあった和船や風帆船に対して汽船の優位が確立した



日本船主による外航海運網の確立

 

・外資による海運同盟は1890年代に海運カルテルとしてほぼ定着し、日本が遠洋航路進出する際には大きな参入障壁となっていた

 

・日本で最初に海運同盟への加盟が認められたのは、日本郵船のボンベイ航路だった

・海運同盟側は日本郵船に対抗して運賃を引き下げたが、紡績連合会と団結して航路を維持し、加えて航海奨励法と造船奨励法による国のバックアップもあり、1896年 日本郵船の海運同盟加入により決着した

 

・日清戦争後は上海拠点の東アジア域内海運市場も勢力が拡張された

・例えば、天津・長江航路においては日清汽船を発足し、国の保護と加えて経営拡大し長江中流域でインド綿糸を駆逐する契機となった

・このように、日本船主によるアジアー欧州、アジアーアメリカの世界定期船航路が形成された

 

・しかし、日露戦争後は大きく状況が変わる

・日露開戦により、船が徴用され、大幅な縮小となった

・またそれにより中小の船会社(社外船主という)が成長。

 

・しかし、社外船主が主体となったアジア域内海運では、海運市場が存在しなかった

・そのため、巨大商社による海運の整備であった

・三井物産は自社内に船舶部を作り、所有船舶を運行した

・それだけでなく、社外戦の傭船者としての圧倒的に地位を向上した

 

貿易の伸長と商権自立

 

・日本の貿易額は1890年代以降急速な伸びを示し日本経済を牽引した

・ただしこの間の貿易収支は赤字。(輸入超過の原因は個人消費の増加)

 

・この時期は、欧米貿易の減少、アジア貿易拡大、アメリカ貿易の拡大の3つが特にある

・アジアは先進国型で、原料(主に綿花)を輸入し綿織物を輸出した。アメリカには主に一次製品の輸出と絹関係製品の輸出

 

・こうした貿易の発展は売込商(輸出)と引取商(輸入)だった

・居留地貿易と内地のつなぎ役となっていた

 

日本商社の台頭

 

・日本商社の中心となるのは三井物産

・割愛

 

 

国内輸送インフラの形成

 

道路網の整備

 

道路建設

 

・1870年以降馬車が普及する

 

・1880年代以降国道の整備が進んだ

 

・1890年代以降は地域内道路である里道の整備が進む

・これは鉄道の輸送の本格化により、府県をまたぐ道路よりも鉄道駅と周辺地域を結ぶ里道が重要視された結果

 

道路輸送と内国通運

 

割愛

・1889年に東海道が開通すると、長距離陸運は馬車から鉄道にとってかわられた



鉄道の発達

 

鉄道網の形成

 

・日本では1872年 新橋ー横浜間 が最初

・1874年には神戸ー大阪間、1877年には大阪ー京都間 で開通した

・しかし、その後は政府の財政難から開通が遅れた

 

・この状況を変えたのは1883年 2000万円の公債発行により両京間鉄道計画が動き始めた

・1889年 東海道開通

 

・一方で民営鉄道は1880年代に次々に開設された

・1893年から第二次鉄道熱が発生し、1899年まで続いた

 

・乗車率は官営の方が高かった。

・しかし、貨物輸送については両社に差はなく、貨物は官民鉄道を乗り継ぐ連帯輸送が多かった

 

鉄道業の産業組織

 

・1899年度末 日本鉄道、九州鉄道、山陽鉄道、北海道炭礦鉄道、関西鉄道が5大鉄道会社と呼ばれた

・日本には対象40を超える鉄道会社が存在し、互いに悪影響となることがあった。そのため1899年「鉄道経営の方針」という論説により民営鉄道を軸にした鉄道合同案が提起された

・しかし、結果的には1908年、鉄道会社の買収によって帝国鉄道庁が成立した。

 

近代港湾の形成

 

割愛

 

通信事業の展開

 

郵便制度の成立と普及

 

・江戸時代の通信手段は飛脚

・1870年 前島密により近代的郵便制度の導入。一元的な郵便事業の管理が確定した

 

・地方資産家を郵便取締役に任命し、自宅を局舎としたが、手当は低く、松方デフレの際には多くが廃業した

 

・雄文物数は10年で10倍以上に増加した

 

電信と電話

 

・1869年 横浜ー東京間 工事開始

・1870年 大阪ー神戸間 工事開始

・1871年 東京ー長崎間 工事開始

 

・1882年まで電信の利用は増加したが、松方デフレで利用が伸び悩む

 

・また1877年には電話も輸入された。

・1890年に一般庶民利用も開始したが、利用者は少なかった

 

・日清戦争後、1896年に第一次電話拡張計画がスタートする。これにより利用者は増加し、1910年には電信を上回った



近代的交通機関の発達と商業

・大きくは①市場統合、②商人の再編

 

鉄道会社の社会経済的影響

 

・移動時間の短縮(13日→17時間)

・人の行動範囲が広がった

・貨物輸送が産業発達に影響 … 例)諏訪製糸業が幹線鉄道をフル活用し、短期間に広範囲に調達することで拡大した。

 

・段階的な移動コストの低下 … 海運との競争により徐々に安くなっていく

 

通信と情報流通の社会的影響

 

・郵便・電信・電話は用途に応じて使い分けられた … 例)商業において、本店の支持を仰ぐときは電話、詳細な情報は書状など

・国際通信では電信が圧倒的に高いが早い。緊急度に応じて使い分けられた

 

市場統合の進展

 

・交通・情報通信の確立によって、取引関係の地域分断性を解消した

・その結果、生産地・集散地市場間の輸送コストを超える価格差部分が縮小し、価格変動が全国的に連動した

・また、遠隔地間取引の利益率が平準化して統一的な市場を形成することとなった

 

商人の再編

 

・集散地(大阪や東京など)へ直接運べるようになったので、中間業者がなくなった

・問屋商人などはこれに対応し、有価証券投資など多角化を進めた

 

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