日本経済史 経済学

戦間期における産業構造の変遷と国際競争

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日本経済史の分野別深堀です。

今日は 戦間期における産業構造の変遷と国際競争 について。

 

参考資料はこちら

日本経済の歴史4 近代2 第一次世界大戦期から日中戦争前(1914~1936)

岩波書店



戦間期における産業構造の変遷と国際競争

 

工業化の深化と国際競争

 

・三和良一、橋本寿郎、武田春人らを中心に第一次世界大戦期からその後の戦間期の日本産業史研究は進んだ

・以下の論点はめっちゃ大事だし丸暗記したいくらい

①諸産業が空前の好況を享受した大戦期には原料や資本財の輸入難が深刻化し、設備投資や生産拡張を実施できない企業が増えた半面、それは「強制された輸入代替」をもたらし、この時期はとりわけ重化学工業化の画期となった。

②「慢性不況」といわれてきた1920年代には事後的に見れば緩やか経済成長が続き、国際的にも日本経済のパフォーマンスは悪くなかったが、それをもたらした重要な要因である固定資本形成は都市化と電化の進展により生じた

③同じ時期、経済成長にもかかわらず不況が強く意識された背景には、財・サービス価格の傾向的低下があり、それが大戦後の企業間競争の激化、特に外国企業との競争の再開によるところが大きかった

④1931年末の金輸出再禁止以降、日本はいち早く世界大不況から脱出し、好況を謳歌するに至るが、当時の円安の持続は綿製品や雑貨の輸出の激増をもたらした。円安はさらに32年の関税改正による重工業関連製品の関税引き上げと相まって、長期不況下で外国との厳しい競争に苦しんできた重工業の国内市場を確保させ、その中から様々な新産業とそれにかかわる野口遵や鮎川義介のような新興企業家が台頭した。

⑤商工省をはじめとする政府の産業政策が、とりわけ昭和恐慌以後、多数の産業に大きな影響を与えるようになった

激しい企業間競争がカルテル活動の活発化をもたらし、昭和恐慌前後に財閥が多くの産業分野における支配網を拡大して、それ以後大型企業合併が続くなど、産業の寡占化傾向が強まった

 

産業構造と動力・エネルギーの変遷

 

工業化と産業構造

 

・大企業の10社には繊維産業や製糸業などの軽工業が多い

・大企業は都市部に集中しているが、大多数を占める中小企業は地方に多い

 

産業構造の変遷

 

・1880年代から1930年代にかけて第一次世界大戦前後から戦間期にかけて大きな変化があった

1890-1910 1915 1935
農林水産業・サービス 70% 50% 30
製造業 30% 40% 55
産業構造の変化 農林水産業の割合が高く、製造業は低い。製糸業なども3%前後だった 製造業の増加 さらなる工業化

 

・労働生産性も1915年頃には鉱工業が3倍に

・1935年頃には繊維、運輸、建設なども倍増する

・これらは「動力革命」の恩恵

 

・産業別有業者の多くは農林水産業から第三次産業へと流出した(以下表)

1910 1920
第一次産業 1531万人(60%) 1472万人(50%)
第二次産業 426万人(17%) 617万人(20%)
第三次産業 662万人(23%) 875万人(30%)

 

・戦間期の産業連関表を見ると、

・中間需要の成長率が最も大きかったのは運輸・通信・交易工業。工業化の過程においてインフラ部門が伸びたと考えられる

 

動力・エネルギーの変遷

 

・主たる動力は戦間期に蒸気機関から電力に切り替わった

・電力は作業機械からシャフトなどを不要として、資本費用を低下させ、さらに効率的な工場配置を可能とした

 

・中小企業は1920年以降電力化していった

 

・しかし、蒸気の利用がなくなったわけではない

・電動機に転換するよりも蒸気機関を活用して電力を発生させた方が安価であった

 

グローバリゼーションの進展と日本の鉱工業

 

日本企業と外国企業との競争

 

・戦間期には外資企業の日本への進出および海外への進出が際立った。以下の論点がある

 

①フォード・GMという巨大自動車企業が、横浜・大阪にノックダウン工場を作り乗用車市場で圧倒的な地位

②1925年 イー・ゲー・ファルベン社が日本への販売強化を行ったが、日本の消費者からのクレームが参入障壁となった。そのためライセンシング戦略に転じた

③1920年代には外国企業が重化学工業品に対してダンピングを仕掛け、その対策に追われた。人絹、鉄鋼、硫安などが有名

 

・他方で日本企業は直接投資と輸出を中心に活発化

・直接投資:日露戦争後の満州投資など、朝鮮での民間設備投資など。加えて「在華紡」も注目。綿花輸入会社として上海に進出したが、中国での売り上げが良かった

・輸出:第一次世界大戦後は、再び西洋諸国に苦しむ。特に重化学工業は自給化はできたが輸出としては競争力が弱かった。しかし、世界恐慌で市場が縮小する中、綿布・人絹および雑貨の輸出は伸びた。これは円為替下落、関税改正、1920年代の企業合理化の結果だといわれる。これらは植民地諸国では喜ばれた。

 

綿業の事例

 

 

 

 

 

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