大学院受験 日本経済史 経済学

定期試験から大学院受験まで使える 日本経済史の問題と解答(近代)

投稿日:2019年9月9日 更新日:

大学院受験用の過去問って少ないですよね。

内部進学ならいいんですが、なかなかアウトプットがなくて知識の定着が難しいと思います。

 

特に日本経済史少なくて困っているかと思いましたので、

日本経済史の問題と解答 を 作ってみました。

 

日本経済史の定期試験から大学院受験まで使えると思います。

 

今回は 日本経済史の問題と解答(近代) です。

長くなりすぎたので3回に分けました。

 

大学院受験の過去問で参考にした大学は京大、阪大、北海道大学、横浜国立大学 です。かき集めました(笑)

 

解答は、聞かれていなくても、できるだけ

[背景] → [内容] → [結果]

の流れで作っています。

 

解答は参考にしてください。あくまで自己責任でどうぞ。

 

あまり読みやすさを重視した文章にはなっていません。

 

間違っていたら、指摘してもらえると嬉しいです。

 



日本経済史の問題と解答(近代)

 

幕末・開港

 

問題1 松方財政

 

松方デフレ政策が必要となった背景とその内容・影響について説明せよ

 

解答

 

[背景]
西南戦争などの戦費、銀行設立ブームに不換紙幣発行、殖産興業などの積極財政により、インフレーションが発生していた。インフレーション発生は、歳入の実質的低下など悪影響があったため、松方はこれを解決するために松方財政と呼ばれる政策を実施する。

[内容]
松方は不兌換紙幣の過剰流通がインフレーションの原因と捉え、紙幣の消却を優先した。まず、均衡予算の達成を目指し緊縮財政をとり、歳入超過分を紙幣消却に充てた。各省では予算の据え置きが計画されるなど、非常に厳しく歳出を削減した。加えて歳入増加のために、菓子税・醤油税などの新設と、酒税・たばこ税の増税などを実施し財政余剰を捻出した。。
兌換紙幣発行のために、横浜正金銀行に融資しそれを輸出代金回収後の正貨で返却させることで正貨蓄積を進めた。そして、中央銀行を設立し、兌換紙幣を発行した。これにより紙幣流通量の増加を抑えた。

[結果]
松方デフレ政策により、政府財政は健全化しインフレーションは抑制された。一方で、深刻なデフレを招くこととなった。このデフレは農民階層に大きな打撃を与えた。地租改正により土地に対する金納が整備されたが、貨幣価値が下がったことで農民の負担は増加し、土地を放棄する者が大量に発生した。
これは農民階層の分解を促進した。土地を手放した農民は小作農や賃金労働者となった。一方土地を獲得した寄生地主が増加した。
また、このデフレ政策により賃金が低水準であったことは経営者に有利に働き企業勃興へと繋がった。

ポイント:①緊縮財政による貨幣流通量減、②兌換紙幣発行準備、③背景は西南戦争・国立銀行ブーム・大隈積極財政、④影響はデフレ・農民がつらい

 

問題2 地主制度の発展

 

明治期における寄生地主制度の確立について説明せよ

 

解答

 

[内容]
江戸時代末期から商品経済が浸透した。これにより、農民層の中でも経済的余剰を手にしたものと、逆に負債を背負うものが現れた。負債処理のために土地を手放す農民が発生し、土地をの集積・寄生地主が発生した。地租改正により、土地に対しての金納が確立すると、それはさらに進展し、大隈財政期のインフレーションとその後の松方デフレの激動の中で、農民階層の分解が加速した。デフレによる税負担から土地を放棄し小作化するものと、寄生地主が拡大した。小作地では、現物納が中心だった。

[その後の発展]
寄生地主は小作料による投資回収率が有利に働くため存続したが、1920年代に入ると、小作争議が多発する小作経営よりも、株式などの金融商品への投資の方が好まれ、一時的に小作地は減少するが、1930年代には昭和恐慌などの影響もあり、再び拡大した。
しかし、戦時統制下食料増産の目的のために、地主経営は急激に弱まる。小作米は一度政府に回収され、その代価を地主に支払うシステムに変更されたため現物納から金納に変化した。生産者米価と地主米価に差額が設けられ、加えて小作料の上限も設定されたため小作料率は低下した。
戦後は2回に及ぶ農地改革により、農民の土地所有が確立したことによって寄生地主は排除された。

ポイント:①商品経済の発達。②地租改正、③松方財政



問題3 1890年恐慌

 

1890年恐慌の原因と結果を説明せよ

 

解答

 

[背景]
1880年代の企業勃興期に株式会社制度が奨励されていた。企業は設立時に株式の一部払い込みで発足し、年を追って、追加払い込みをする資金調達方式をとっていた。

[内容]
1890年恐慌は金利上昇が原因で株価が暴落し発生した。この金利上昇が発生した理由は大きく2つである。
一つは、株式の追加払い込みのための資金需要が増加し銀行への借入が発生したが、銀行はこれに十分な資金力を持っていなかったために、金利は上昇した。
加えて、米穀の凶作が発生し米価が高騰した。米価高騰により投機決済資金需要が増加、また輸入米の貿易決済資金需要増大によって金融市場を圧迫した。
さらに凶作による農家所得の低下と、米価高騰による市民生活への打撃は、国内消費財の需要を低下させ過剰供給となり恐慌を深刻化させた。

ポイント:①金利上昇、②株式分割払込制度、③凶作

 

問題4 地租改正と秩禄処分

 

地租改正と秩禄処分の背景とその後の意義を述べよ

 

解答

 

[背景]
明治維新設立後も依然藩主の力が強かったため、中央集権化のために版籍奉還・廃藩置県が実施され、旧藩主たちには家禄支給を約束した。
明治初期は通常歳入のうち地税が大きく、加えて紙幣発行による例外歳入も大きかった。歳出では軍事費のほかにその倍を諸禄に費やしていた。地税・紙幣・秩禄は明治初期の財政上の重要な3要素だった。

[内容]
地租改正の内容は①土地調査を実施し地価の決定、②土地所有者を確定し地券を交付、③地券に対して納税を行うというものであった。農民の納税後も収益が手元に残ることを前提としており、また納税額が一定期間一定であることは、農民の自立的な農業経営を促進することとなった。
一方納税を受けていた旧領主には米石高表示の家禄を貨幣額表示の金禄に変更し、金禄公債を発行することで秩禄処分を実施した。

[結果・意義]
土地所有権が確定したことにより、「一地一主」主義が確立し共同体の解体が進んだ。また金納となったことで農民は商品経済へ巻き込まれることとなった。これは後に寄生地主・賃金労働者の誕生にも影響した。政府は安定した地税を徴収できることになったため政府財政が安定し、予算策定を効果的に実施できるようになった。
秩禄処分により、政府支出に大きな割合を占めていた秩禄が処分でき、またここで得た資本はのちの工業化に投入されることとなった。
また、金禄公債によって国立銀行設立ブームを促進した。

ポイント:①地券・金納、②金禄発行、③安定した租税、④農民は商品経済へ巻き込まれた

 

問題5 製糸業の発展

開港から戦前までの製糸業の発展について説明せよ

 

解答

 

開港後は西欧諸国からの生糸需要が高く輸出品として扱われた。そのため、従来の絹織物産地である西陣などは生糸の入荷が困難になり大きな打撃を受けた。五品江戸廻送令により、商業ネットワークの回復を図ったがうまくいかなかった。
しかし、悪質な生糸が多数流通し、日本の生糸に対するマイナスイメージがつくと、生糸輸出は減少した。

工業化においては殖産興業の一環として富岡製糸場が設立されフランスの技術が導入された。また、長野県諏訪郡などでは品質向上の取り組みが行われ、高品質担保により信頼を回復し、アメリカへの輸出が回復した。生糸は日本の輸出の中心として外貨獲得に貢献し、日本の経済成長に大きく貢献した。繭を担保にするなどの新しい銀行の成立も促した。
1920年代にはアメリカの戦時ブームにより、生糸需要が高まり、製糸業は好況を迎えた。しかし、1929年アメリカで世界恐慌が発生すると、生糸需要は激減し輸出は減少、農村に非常に大きな打撃を与えた。
日清戦争後、日本が戦争経済に突入すると、軍需工業や重工業が優先されたことで繊維産業の地位は凋落した。

 

問題6 紡績業の発展

 

開港から戦前までの製糸業の発展について説明せよ

 

解答

 

[背景]
紡績業では、関税自主権のない中、イギリスなどからの綿製品流入により従来の国内工業は大きな打撃を受ける。

 

[内容]
日本での工業化が進んだのは、1883年大阪紡績会社設立後である。大阪紡績会社の成功要因は、労働力を取得しやすい立地、大規模な工場建設、蒸気機関の導入などである。この成功をもとに、企業勃興期には多くの資本家が綿紡績工場を設立し、世界競争力を獲得する。日本の綿紡績業が競争力を獲得した要因としては、安価な労働力として女学生を活用したこと、昼夜連続稼働、世界的な銀安により金本位国よりも価格優位があった、リング機の導入などがあげられる。
綿花などの原料輸入はインドや中国から調達することが多く、第一次大戦後は中国に工場を設立し国内市場への供給を図った。加えて、中国国内でも競争力を持つようになり、在華紡と呼ばれるこれらの企業は成長した。
しかし、1930年代の昭和恐慌により、打撃を受け後退し、戦時経済により重工業が優先され凋落した。

 

問題7 企業勃興

 

1880年代後半の企業勃興の背景とそこで成長した産業について説明せよ

 

解答

 

[背景]

松方デフレ政策により、物価は定価に安定し低賃金で労働者を獲得できた。
低利子率による資金供給体制が整えられていた
国際的な銀安による輸出促進

 

[内容]

紡績業と鉄道業が企業勃興の主導産業となった。
紡績業では大阪紡績会社が蒸気機関を備えた近代的な大型工場を設立し成功を収め、大規模綿紡績業の設立ブームを起こした。日本郵船との協力によりボンベイ航路を開設するなど輸出価格低減措置もあり、日清戦争後には輸出産業として成長した。
鉄道業では、華族中心に日本鉄道会社が民間会社として設立され上野ー熊谷間を開業後良好な成績をあげた。その後私鉄会社によって全国の主要幹線が敷設され急速に発達した。1906年の鉄道国有法により国有化される。
また、株式分割払込制度による資本調達を行ったが、これは株式追加払い込み不能会社が発生し、のちの1890年恐慌の原因となった。

 

[その他の産業]

軽工業では製糸業が成長する。優等糸の生産により上海・イタリアと対抗した。また、製糸金融が発展し大きな役割を果たした。富岡製糸場は経営赤字を続けたが、ここでの技術が各地へ伝播する意味で重要な役割を持った。
重工業では石炭で早くから機械化が進みポンプの導入などが行われた。輸入圧力がほぼ存在せず国内市場の拡大とともに成長し、輸出産業地して重要な役割を果たした。鉄鋼業では伝統的な「たたら吹き」では国内需要に追い付かず、八幡製鉄所が設立された。これにより鉄鋼の生産量は急激に拡大するが需要には追い付かず、輸入に大きく依存することとなる。
海運業では、日本郵船会社が誕生しボンベイ航路の設置などを行った。政府の支援も多く、造船奨励法航海奨励法、遠洋航路補助法により育成を図った。

ポイント:①紡績業と鉄道業が先導、②デフレ安価な労働力・銀安輸出による成長の背景

 



 

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