大学院受験 日本経済史 経済学

定期試験から大学院受験まで使える 現代日本経済史の問題と解答(戦前)

投稿日:2019年9月10日 更新日:

大学院受験用の過去問って少ないですよね。

内部進学ならいいんですが、なかなかアウトプットがなくて知識の定着が難しいと思います。

 

特に日本経済史少なくて困っているかと思いましたので、

日本経済史の問題と解答 を 作ってみました。

 

日本経済史の定期試験から大学院受験まで使えると思います。

 

今回は 現代日本経済史の問題と解答(戦前) です。

長くなりすぎたので3回に分けました。

 

大学院受験の過去問で参考にした大学は京大、阪大、北海道大学、横浜国立大学 です。かき集めました(笑)

 

解答は、聞かれていなくても、できるだけ

[背景] → [内容] → [結果]

の流れで作っています。

 

解答は参考にしてください。あくまで自己責任でどうぞ。

 

あまり読みやすさを重視した文章にはなっていません。

 

間違っていたら、指摘してもらえると嬉しいです。

 



 

現代日本経済史の問題と解答(戦前)

 

第一次世界大戦期

 

問題1 日本の好況

 

第一次大戦期による日本の好景気の要因とそれによる変化を説明せよ

 

解答

 

[背景]

日本は第一次世界大戦前まで国際収支の悪化に苦しんでいた。その要因は、国内需要の増加。人口増加と一人当たりの個人消費増加によって需要が増加していた。1885年以降は企業勃興もあり民間設備投資が増加する。1890年代以降は政府支出、特に軍事需要が大きかった。1910年ごろからは輸出が成長する。1920年以降は再び個人消費が成長する。

[第一次世界大戦後の変化]
第一次世界大戦後はこの状況が大きく変わった。大戦景気がもたらされ日本の好況が訪れた。
この要因は、①アメリカの好況による生糸需要の拡大。②西欧諸国が戦争により輸出が困難になったことで、日本の(主に綿製品)輸出が促進された。また日本での化学品などの輸入代替が進んだ。③連合国による軍需品・食料品需要が急増した、ことである。これにより、日本は輸出超過を達成し、債務国から債権国へ転換した。

加えて西欧の復興が遅れることが判明すると戦後景気が発生し、繊維業・電力業が中心となり大戦ブームを上回る好況が訪れ、投機が過熱した。これはのちに1920年恐慌の要因となった。
西欧諸国の復帰により重工業の国際競争力は失われた。

ポイント:①国際収支の改善、②アメリカへの絹輸出・アジアへの輸出・輸入代替・交戦国への軍需品・食料品

 

戦間期

 

問題1 1920年代の国内市場

 

1920年代の重化学工業の成長と国内市場の拡大について説明しなさい

 

解答

 

[背景]

戦後ブームがやや遅れて個人消費を刺激し国内需要は高まりを見せていた。輸入も増加し、国際収支は再び危機に瀕する。

 

[内容]

1920年には大戦期と戦後ブームにより拡大した重化学工業が1920年代には軍縮により縮小した。しかし、1920年代後半には電力利用の普及、都市化に伴う電鉄の発達などにより、電力業関連を中心に重化学工業が拡大した。

電力業:5大電力会社による電源開発が進み、1929年までに電力は拡大した。電力を大量に利用する、肥料・ソーダなども成長した。
電鉄業:旧来の私鉄の電化が進み、新線も開通した。鉄道の発達は電力や車両などの関連産業を刺激した。
自動車業:軍需が支える形で生産を開始した。しかし、日本フォード、日本ゼネラルモーターズによるノックダウン生産が主力で、輸入車とノックダウン車には全く太刀打ちできなかった 。
航空機:軍用航空機の参加が早く、三菱・中島などが先陣を切った。外国技術の模倣が主流だったが、1930年代には世界水準の戦闘機を製造した。

ポイント:①繊維と電力関連中心、②電鉄・電力関連・航空機・自動車(弱い)

 

問題2 1920年代の日本経済

 

1919(大正 8)年~1928(昭和 3)年の局面における日本経済の動向を、輸出、震災、金融恐慌、合理化、財閥、格差の拡大、終身雇用制、年功序列賃金体系などの用語をもちいて叙述せよ

 

解答

 

ばててしまったので省略

 

問題3 高橋財政

 

1931年12月大蔵大臣に就任した高橋是清は、積極的な財政政策を展開し、昭和恐慌からの脱出に成功しましたが、農村での景気回復はなかなか実現しませんでした。以上の点を踏まえつつ、高橋財政の内容と歴史的意義について説明してください。(横浜国立大学 2016)

 

解答

 

[背景]
昭和恐慌により日本経済は深刻な不況に苦しんでいた。加えて、金本位制維持のための井上財政による緊縮財政はこれを助長することになった。そんな中政変により、高橋是清蔵相に就任した。

[内容]
日本経済活性化のための需要拡大を狙った。①有効需要の拡大(軍事費拡大、時局匡救事業、船舶改善助成など)、②輸入抑制・国内市場拡大(低為替政策・関税改正)、③それとともに輸出促進、④農村救済・中小企業救済政策(低利資金融資・農産物価格支持政策など)、⑤産業合理化政策(臨時産業合理局の行政活動)、⑥金本位制停止・管理通貨制度、⑦赤字公債の日銀引受、⑧公定歩合・公債利率引き下げ を実施した。

[結果]
日銀の公債引き受けは、紙幣の過剰発行・インフレーションを起こす可能性が高く慎重に運用する必要があった。高橋はこれをコントロールし、次第に支出を減らしていったが、2・26事変が発生し高橋の死後は過剰発行が発生した。また、重工業中心の政策となったため、農村の景気回復は遅れ、農工間格差は解消しなかった。農民は貧困から小作へと転落し、寄生地主の拡大に繋がった。

ポイント:①有効需要創出、②赤字公債・日銀引き受け、③低為替・関税

 



 

問題4 昭和恐慌

 

昭和恐慌の背景(原因)と、そこから景気回復のために行われた政策の内容を説明しなさい。

 

解答

 

[背景]
1920年恐慌において、政府の救済措置により不良企業が整理されなかった。加えて1923年に発生した関東大震災により不況が発生し、震災手形が発行され支払が猶予された。しかし、鈴木商店などは震災とは無関係の債務を震災手形に紛れ込ませたため、金融業界に不安が走っていた。この中で、片岡蔵相が東京渡辺銀行の倒産という誤情報を失言したことをきっかけに金融恐慌が発生した。各銀行には預金の取り付けで大騒ぎが発生し、台湾銀行を始め、休業する銀行が多発した。政府はモラトリアムの措置を行い、台湾銀行の救済措置を取りこの混乱を収めた。
相次ぐ不況により為替は乱高下し、世界的な潮流もあり金本位制を求める声があった。このため、井上蔵相は緊縮財政を取り、正貨蓄積、為替の安定を目指した。1929年アメリカで発生した世界恐慌により世界的な不況が襲うが、この中で金解禁を実施し、その後も緊縮財政を続けた。この緊縮財政が深刻な不況を招き昭和恐慌を招いた。

 

[内容](→ほぼ問題3と同じ)
蔵相となった高橋是清は昭和恐慌の回復のために、積極財政などの高橋財政と呼ばれる政策をとる。まず、金輸出再禁止を実施し、管理通貨制度へ移行することで積極財政の基盤を作った。加えて、財源として赤字公債発行・日本銀行引受という史上初の政策をとった。これにより財政刺激が可能となるとともに、日銀引き受けには公募募集による一時資金引き揚げというデフレ効果もなく、また日銀が引き受けた公債は市場に売却することで紙幣の過剰発行を避けるという効果もあった。
このように得た資金を公共投資に回した。時局匡救政策と呼ばれる公共事業によりダムなどを建設し、また船舶改善助成という政策により、老齢船の解体と新鋭船の製造というにより海運業・造船業を刺激した。また、中小企業や農業への低金利融資も実施した。
一方、輸出促進・輸入抑制のために関税を引き上げた。加えて為替に対しては放任主義で臨んだため為替は低下し円安状況を作り上げた。

 

[結果・影響]
1932年以降回復に向かった。積極財政は1年目に特に大きな影響を与えた。低為替政策は持続的に続き効果が高く特に重化学工業で競争力を得て成長した。。一方で農業の回復は遅れた。
輸出では重工業が成長した。繊維では綿製品の地位が上昇した。絹も依然輸出額を大きいが、地位は低下した。アジアへの輸出が増加し、ヨーロッパは低下した。アメリカは輸入超過に転じた。

ポイント:①井上緊縮政策、②世界恐慌、③高橋財政

 

問題5 井上財政

 

井上財政の内容とその影響を説明せよ

 

解答

 

[背景]
金本位制を停止下の日本は、通貨の膨張、物価高騰、輸入超過により不安定で経済危機を脱することができないため、為替を回復させてから旧平価での金解禁を実行するという構想を持っていた。そのために、一時的な不況に耐え、産業合理化を進め生産性を向上し輸出を促進するべきだと考えていた。

[内容]
金本位制に向けた緊縮財政を取った。これにより為替の安定、さらにデフレによる企業の合理化を図った。
一方この緊縮の補償措置として、重要産業統制法を制定し、カルテルの強化を行った。
しかし、世界恐慌下では強烈なデフレとなり日本経済は低迷した。

[結果]
旧平価での金本位制復帰は円高効果を持ち、輸出が減退。加えて、世界恐慌もあり日本経済は大きな打撃を受けた。特に農村では製糸業の輸出が壊滅的で貧困をもたらした。
また、金輸出再禁止を見込んでドル買いする企業にドル売りで対抗し、「国賊」として非難することで庶民の財閥批判へ繋がりファシズムの温床となった。

ポイント:①金本位制に向けた緊縮財政、②重要産業統制法

 

問題6 金解禁

 

金解禁は1919年のアメリカの金解禁から議論されたが、結局は1929年まで実現しなかった。この論争について見送られた理由と論争について説明せよ

 

解答

 

1919年には、中国進出のために正貨金が必要であるとの政治的判断、金解禁が前提となる積極財政の緊縮政策への転換が政友会内閣では採用されがたいという理由。
1921年には1920年恐慌による国際収支赤字が発生すると再発した。野党憲政会は日本の物価水準の国際的割高を是正するには緊縮政策への転換と金解禁が必要であると主張したが、与党政友会は国内的に積極政策をとり産業振興させる一方で、貿易収支の悪化については在外正貨払い下げによる低為替政策で対処するという構想を持っていた。
1923年の関東大震災は金解禁を遠のかせ、震災手形の処理が当面の課題となった。さらに金融恐慌の発生により金解禁は見送られる。
1920年代後半に入ると貿易関連業界や銀行業から金解禁が求められたが、なおをも輸入超過が続いていたため新平価での金解禁が提案された。
このような議論の中井上準之助は金本位制を目指して緊縮財政・正貨蓄積に着手した。



問題7 金融恐慌

 

金融恐慌の原因とその影響を述べよ

 

解答

 

1920年恐慌とか、震災手形とか、鈴木商店とか、片岡蔵相の失言とか
台湾銀行休業とか、モラトリアムとか

 

これでもご参考に

 

第二次世界大戦らへんは次のページ

 

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