大学院受験用の過去問って少ないですよね。
内部進学ならいいんですが、なかなかアウトプットがなくて知識の定着が難しいと思います。
特に欧米経済史少なくて困っているかと思いましたので、
欧米経済史の問題と解答 を 作ってみました。
欧米経済史の定期試験から大学院受験まで使えると思います。
今回は 欧米経済史の問題と解答(近代) です。
一部中世も入っていますが。
大学院受験の過去問で参考にした大学は京大、阪大、北海道大学、横浜国立大学 です。かき集めました(笑)
解答は、聞かれていなくても、できるだけ
[背景] → [内容] → [結果]
の流れで作っています。
解答は参考にしてください。あくまで自己責任でどうぞ。
あまり読みやすさを重視した文章にはなっていません。
間違っていたら、指摘してもらえると嬉しいです。
欧米経済史の問題と解答(近代)
中世
問題1 封建制と領主制
封建制と領主制の違いについて説明しなさい
解答
封建制は王と家臣団の間の土地を媒介にした分権型の国家体制を指す。
領主制は、封土を得た貴族と農民との関係であり、貴族は法的権限を持つ領主としてこれらの土地の経営を行った。古典荘園では領主直営地と農民保有地(フーフェ)から構成されていた。領主は土地支配権、人身支配権、領主裁判権を持っていた。しかし、農民が利用する土地は完全に私的な所有ではなく、共同体規制のもとに置かれていた。
問題2 アントウェルペンの成長
中世から発展した、大市の形成過程と近世に入り栄えたアントウェルペンの成長理由について説明せよ。
解答
[背景]
中世市場形成には領主経営による所領が重要な役割を果たした。市場は特定の期間に売買が行われる取引の場として成立した。次第に遠隔地貿易が発達し、ヨーロッパ各地を結ぶ広域流通網が発展し、北イタリアとフランドル地方が商業の中心として栄え南北連結ルートが重要であった。さらにバルト海・北海をつなぐ東西ルートも重要になり、リューベクを中心に繁栄し、商人はハンザ同盟が結成した。
[内容]
16世紀以降は農業生産も回復し多様化した。遠距離商業は質的量的に拡大し大市に常設の取引所が設置された。低地地方の成長と共にアントウェルペンへと商業中心が移動しただけではなく、アントウェルペンでは外国商人が制限なく取引所にて認められ、自由な経済活動をできたことが急成長の要因となった。加えて、手形の裏書や割引も行われ決済の利便性が高かった。
[その後]
その後スペインとの独立戦争によりアントウェルペンは衰退しアムステルダムへと中心が移行した。
問題3 三圃制
次の語句について経済史上の意味を明確にしながら、それぞれ10行程度で説明しなさい。三圃制。
解答
[背景]
二圃制では耕地を二つに分け休耕地の耕作地をそれぞれ使用していたが中世ヨーロッパにおいて三圃制が導入されると農業生産性が増加した。
[内容]
海洋性気候のフランス北部などで行われた農法で、農地を春播き、秋播き、休閑地の3つにすることで、作付面積を2分の1から3分の2に増加させ食料生産を増加させた。
また、縦長の耕地での有輪犂を用いた耕耘、耕作、休閑地での肥育・施肥などの共同作業と土地の一体的運用を必要とする三圃制はそれぞれの保有地を囲い込まず、農耕と休閑地での放牧を共同して行うため、開放耕地化と集村化を促進した。
三圃制では飼料が不足する冬に家畜を育てることが困難という課題があり、この解決にはノーフォーク農法の普及を待たなければならなかった。
[影響]
開放耕地の拡大
集村化の拡大
農業生産性向上による人口増加
ポイント:開放耕地の拡大、集村化
問題4 ギルド
次の語句について経済史上の意味を明確にしながら、それぞれ10行程度で説明しなさい。ギルド。
解答
中世以降の都市で結成された商工業者の組合。大きく商人ギルドと手工業ギルドに区分され後者はドイツ語でツンフトと呼ばれた。商人ギルドは各都市の自治獲得の中心となり市政に参加した。
ツンフトは同職組合として商人ギルドに対抗した。13世紀以降市政への参加を求めツンフト闘争を起こす。親方と職人、徒弟の関係は厳しく閉鎖的であったため、自由競争の妨げとなった。ドイツでは19世紀以降も大きな影響力を持ったが、営業の自由を認める方向で改革が進み機械化が進展するにつれ衰退した。
また、農村にはギルド規制がなかったことが農村でのプロト工業化の要因の一つとなった。
ポイント:徒弟制度、プロト工業化への影響や営業の自由が求められ解体
次のページからは近代より