大学院受験 欧米経済史 経済学

定期試験から大学院受験まで使える 欧米経済史の問題と解答(現代)

投稿日:2019年9月14日 更新日:

大学院受験用の過去問って少ないですよね。

内部進学ならいいんですが、なかなかアウトプットがなくて知識の定着が難しいと思います。

 

特に欧米経済史少なくて困っているかと思いましたので、

欧米経済史の問題と解答 を 作ってみました。

 

欧米経済史の定期試験から大学院受験まで使えると思います。

 



 

今回は 欧米経済史の問題と解答(現代) です。

 

大学院受験の過去問で参考にした大学は京大、阪大、北海道大学、横浜国立大学 です。かき集めました(笑)

 

解答は、聞かれていなくても、できるだけ

[背景] → [内容] → [結果]

の流れで作っています。

 

解答は参考にしてください。あくまで自己責任でどうぞ。

 

あまり読みやすさを重視した文章にはなっていません。

 

間違っていたら、指摘してもらえると嬉しいです。

 

欧米経済史の問題と解答(現代)

 

第一次世界大戦

 

問題1 アメリカの好況

 

1920年代アメリカは好況を迎えた。経済成長の産業構成とそれによる技術・経営手法の発展について説明せよ

 

解答

 

[背景]
第一次世界大戦ブームによりアメリカ経済は好況を迎えた。

[内容]
住宅建築と耐久消費財需要を基礎にアメリカは持続的に成長し、企業集中も進行した。自動車、電機、化学産業の成長が著しかった。
自動車産業の成長は花形産業となり、フォードシステムによる大量生産が確立してからは普及が広まった。フォードシステムは互換性部品と専門機械の連続を特徴としたアメリカ・システムを応用し、ベルトコンベアによる流れ作業導入により、低価格と高賃金を達成した。エネルギー部門では自動車の普及により石油の利用が拡大した。



大量生産のためには企業の大規模化が進展し、新しい企業管理手法が必要とされた。企業は個人経営から、集権的職能部門制へ移行し、ついには分権的事業部制という管理手法が誕生した。鉄道業から進展したこの管理手法は製造業などにも普及し、アメリカの大量生産・大量販売を促進した。

 

問題2 総力戦

 

第一次世界大戦の計画経済についてイギリス・フランス・ドイツの政策を説明せよ

 

解答

 

[背景]
総力戦を維持するためには、軍需物資への生産集中、効率的に物資・兵士を輸送が必要だった。そのため戦時統制・戦時計画経済が採用された。

[内容]
ドイツではカルテルが大規模に進行していたこともあり、比較的速やかに戦時経済へ移行した。戦時原料局を中心に繊維・金属などに戦時経済会社を設立し、在庫の一元管理や民間の競争を抑制し組織化した。
イギリスでは戦時統制について慎重な姿勢をとったが、戦争の長期化により国家干渉が拡大した。軍需法が制定され、賃金統制、労働力移動規制、民間企業の利潤抑制が実施され、またマッケナ関税法で自動車や楽器などに高額な関税をかけることで資源の効率的配分を狙った。
フランスでも軍需省が設立され、鉄鋼連盟などの組織化が進んだ。アメリカ参戦後は輸入物資の効率配分のために、コンソルシウムが設置された。

[結果]
戦争による国家干渉の経験は、自由放任の資本主義に対して計画と組織化の移行をもたらした。

 

戦間期

 

問題1 国際貿易

 

1920年代・30年代に世界貿易が停滞したのはなぜか

 

[背景]
第一次世界大戦により、経済の中心がイギリスからアメリカに移動した。また戦時経済で関税が引き上げられていた。

[内容]
1920年代には世界貿易の成長率が停滞した。1930年代には絶対的に縮小した。
この要因はまず保護紡績主義の台頭があげられる。イギリスでは第一次世界大戦中にマッケナ関税が制定され戦後も維持した。さらに1919年に帝国内特恵関税を制定し、1921年には産業防衛法によって輸入関税を課した。1930年にはスターリング・ブロック、金ブロックなど排他的経済ブロックが形成された。
次に、地政学的な理由があげられる。アメリカが経済の中心となったが、アメリカ経済は国内市場が大きく、貿易の必要性がイギリスに比べ小さかった。また、ロシアが世界経済から切り離された。加えてハンガリーやチェコなど民族自決を掲げて独立した国々は自国産業保護を追求した。
また、農工間格差があげられる。戦争による人口増加の停滞により、農産物過剰となり価格低迷が起きた。これにより農産物輸出国は工業製品輸入が困難になった。

[結果]
ブロック経済は過熱し、持たざる国は自給自足的原料・市場などを求め軍事拡大し、第二次世界大戦へと繋がった。

 

問題2 世界恐慌の対応

 

世界恐慌に対処する方策として、ドイツ、イギリス、アメリカはそれぞれどのような経済政策をとったか。日本はどうであったか。300 字前後で簡潔に述べよ。

 

解答

 

金本位制離脱の年 重要な単語 内容
アメリカ 1933年 スムート=ホーレー関税法
ニューディール政策
農業調整法
産業復興法
テネシー渓谷開発公社
銀行法
ニューディール政策
イギリス 1931年 スターリング・ブロック
オタワ会議
①保護関税政策への転換
②低金利政策による景気刺激
→全体的な政府による積極的な財政投資はなし
→輸出型から内需型に市場構造が変化
フランス 1936年 金ブロック 金本位制に固執したため、輸出商品が値上がり

・やや遅れて積極財政の実施
・ニューディール政策から着想を得て、小麦の公定価格制度導入など
・公共投資は小規模だった
・結局戦争まで回復しなかった

ドイツ 1931年 アウタルキー ①高速道路建設や軍需生産の拡大による有効需要拡大
②経済の自給自足を目標に第二次4ヵ年計画を実施し、生存権拡大のために軍事産業が拡大した
③一方、ナチスによる労働者の政治活動禁止
日本 1931年 高橋財政 割愛。高橋財政参照

 

問題3 ニューディール政策

 

1929年の世界恐慌はアメリカでも深刻化し、1933年のニューディール政策を実施した。この政策の内容と結果を述べよ (横浜国立大学)

 

解答

 

[背景]
1929年から始まる世界恐慌によりアメリカでも不況に陥った。加えて、アメリカは当初、金本位制を維持するために緊縮財政を取り、不況を深刻化させた。



[内容]
フランクリン・ルーズヴェルトはニューディール政策と呼ばれる、総需要創出の政策を実行した。管理通貨制度に移行し積極財政の条件を準備し、道路建設などの公共事業や記録写真の保存など失業者対策を実施した。さらに、テネシー渓谷開発公社を設立し、電力・地域開発などの大規模公共工事を行った。また、全国産業復興法により、カルテルの結成を認め労働者雇用の安定を図った。さらに、農業調整法を制定し、補償金を出して生産制限するなど価格引き上げを図った。また、銀行が株式投機を促進し、世界恐慌の要因の一つとなってしまったため銀行法を整備し、投資銀行と商業銀行を分離した。
国際関係では互恵通商協定法を設立し、経済ブロックへの歯止めをかけようとした。
[結果]
全国産業復興法と農業調整法は効果が出る前に違憲判決が出され撤回してしまうが、公共事業投資などの積極財政はアメリカ市場の活性化に繋がった。

 

第二次世界大戦以降は次から

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