大学院受験 欧米経済史 経済学

定期試験から大学院受験まで使える 欧米経済史の問題と解答(現代)

投稿日:2019年9月14日 更新日:

第二次世界大戦

 

問題1 欧州石炭鉄鋼共同体

 

次の語句について経済史上の意味を明確にしながら、それぞれ10行程度で説明しなさい。欧州石炭鉄鋼共同体。(大阪大学 2018)

 

解答

 

第一次世界大戦の反省から、協調路線を模索した欧州では、ドイツ・フランス・ベネルクス三国・イタリアは1951年欧州石炭鉄鋼共同体を設立する。しかし、当初フランスはドイツのルール地方の石炭・鉄鋼をいかに獲得するかを考えていた。またドイツからこれらを取り上げることにより、フランス経済発展を考えていたが、各国のドイツに対する姿勢が軟化すると、方針を変え共同利用へと転換した。これにより、ドイツ・フランスともに利益を確保したことになるが、その際加盟したベネルクス三国はさらなる経済協力を望んだ。ベネルクス三国は加工貿易を中心としており、その供給源となるのはドイツしかないと捉えていた。その結果、1958年にはEURATOM、EECを設立し、欧州における協調関係を強化した。これらの取り組みはヨーロッパにおける超国家的な機構による経済協力の契機となり、EC設立へと発展した。ECは勢力を拡大し、1992年にはマーストリヒト条約によりEUを設立する。

 

問題2 黄金の1960年代

 

「黄金の 60 年代(1960 年代)」といわれるが、西欧の経済成長の要因は何か

 

解答

 

[背景]
戦後欧州はアメリカとの経済的な差が大きく、復興期には混合経済を特徴に経済へ政府が積極介入するという経験があった。



[内容]
要因の一つは①アメリカとの生産性格差を埋めるための技術革新と設備投資だった。アメリカの技術導入のために積極的な投資を行った。また、技術のみならず、アメリカで確立していた企業経営手法も導入し、生産性向上に繋がった。②自由貿易の拡大と市場統合である。IMF=GATT体制により関税は廃止されていき、加えてヨーロッパ域内での統合の進展により、輸出入が増加したこと。③労働力供給の増加。南欧や東欧、北アフリカ地域から労働力が提供され、賃金上昇による投資阻害を回避できた。

[結果]
高成長を達成し、アメリカへのキャッチ・アップに成功した。

ポイント:①アメリカ技術の導入、②貿易の拡大、③安価な移民労働力確保

 

 

問題3 国際貿易

 

第一次世界大戦後と第二次世界大戦後の国際貿易の違いについて

 

解答

 

保護主義と自由主義の対比

IMFやIBRD、GATT、ECSC→EUなど

 

問題4 ドルショック

 

ドルショックの原因とその後の影響について説明せよ

 

解答

 

[原因]
第一に、日本・西欧諸国の急成長によりアメリカの優位が揺らいだこと。第二に、ヨーロッパ・アジア・アフリカへ進出した米国多国籍企業は進出先で企業活動を行う一方、利潤をアメリカに還元しなかったためドルの拡散を招いたこと。第三に、ベトナム戦争や福祉関連支出などでドルの出費が大きかったこと。

[影響]
変動相場制へ移行した。ヨーロッパではヨーロッパ通貨システム:EMSを設立し協調フロートを採用した。これは「トンネルの中の蛇」と呼ばれた。EMSの発想は単一通貨ユーロ誕生に繋がった。

ポイント:①西欧・日本のキャッチアップ、②多国籍企業、③戦費・福祉関連費拡大

 

問題5 マーシャル=プラン

 

次の語句について経済史上の意味を明確にしながら、それぞれ10行程度で説明しなさい。マーシャル=プラン

 

解答

 

ヨーロッパ経済復興の最大の障害は「ドル不足」であった。混合経済を進めていた西欧諸国は輸出能力を喪失しており、復興に必要な資材調達のための外貨が不足していた。
そのためアメリカ外相マーシャルは、大規模なヨーロッパ復興援助を表明し、マーシャル=プランと呼ばれた。当初は東欧諸国も対象となっていたが、冷戦体制が明らかになってくると西欧諸国への援助となった。西欧諸国はこの受け入れのために、OEECを組織し復興の計画や配分について話し合いを行った。ドイツの処遇に対して、厳しい姿勢をとっていたフランスも、ソフト・ピースを方針とするアメリカに譲歩し政策を転換し、欧州石炭鉄鋼共同体の設立へと繋がっていく。またフランスではマーシャル=プランで得た資金をもとに計画経済を進展させた。後のヨーロッパの統合の前段階としての影響を与えた。
一方でマーシャルプランは、ヨーロッパの低迷により落ち込んだ国内の輸出需要を作り出す効果があった。

ポイント:①ドル不足への戦後援助、②ドイツ融和・ECSC・OEEC、③アメリカ輸出市場拡大



 

問題5 混合経済

 

次の語句について経済史上の意味を明確にしながら、それぞれ10行程度で説明しなさい。混合経済

 

解答

 

第二次世界大戦後、戦争により肥大化した政府支出により、西欧では国家による産業への積極的な介入が行われ、計画経済と市場経済を混合した経済体制がとられた。これを混合経済という。国内総生産に対する政府支出の割合は増加し、イギリスでは、石炭・鉄鋼・ガスなどの基幹産業で国有化が行われた。フランスでも同様に石炭や鉄鋼が国有化され、加えて主要銀行も国有化された。国営企業の多くは市場競争にさらされたが、産業政策の中核として位置付けられた。またケインズ政策が浸透し、景気循環に対して積極的な財政政策、金融政策が打ち出された。
特にフランスやイタリアでは経済計画が前面に押し出され、フランスのジャン=モネを中心にモネ・プランが計画された。これは石炭や鉄鋼など主要産業に傾斜的に資金・物資を配分することで戦後復興を促進するという内容で、マーシャル・プランによる援助を財源に実施された。
混合経済の採用により、西欧諸国は1960年代には高い成長率を実現し、黄金の60年代と呼ばれた。また、次第にその性格が社会福祉の充実へと重点がシフトしていった。

 

参考文献

 

こちらに載せています

 

経済学大学院入試にオススメする教材 経済学の院試向け教材

 

> 前のページへ 

-大学院受験, 欧米経済史, 経済学

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事