経済学 開発経済学

開発経済学の基礎 1 貧困削減へのアプローチ

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開発経済学の歴史と展望

 

開発経済学の定番 1940~1960年代

 

・開発経済学の定番と呼ばれる理論:人的資本余剰労働貧困の罠最小臨界努力余剰はけ口 などが出そろう



・シュルツとルイスによるノーベル経済学賞受賞により世界で認知された。

・この時期は必ずしも経済主体の最適化行動を前提としたものではなく、一般均衡モデルで記述されないことが多かった。

 

・この時期は各国で国を挙げた経済開発が進んでいた

・この時期の開発政策は「余剰労働力を活用し、政府主導で主要産業に最小臨界努力水準を超える物資を物的資本及び人的資本に対して行うことで貧困の罠から抜け出すこと」を目標としたといえる

・また、この時期の開発政策の特徴は

  1. 政府が中心となって開発した
  2. 植民地から脱出し外国経済を断ち切るために、輸入代替工業化政策がとられたこと

輸入代替は国内のパイが小さいため成長戦略としてうまくいかないことがのちに分かる

 

輸出志向工業化と国際経済学 1970年代

 

・1960~70年代に成長したのは、民間企業を活かして輸出政策をとった、日本・韓国・台湾・香港・シンガポール など

・これらは輸出志向工業化と呼ばれる

 

・輸出志向工業化を説明するのに、開発経済学の定番では説明できなかった

・そこで、利用されたのは厚生経済学の基本定理だった

→要は、資源分配を国家に任せるよりも、市場に任せた方が効率的。ということ。ただし、市場の失敗には注意。詳しくはこちら

 

・この時期には輸入関税や輸出補助金などの分析が盛んに行われ、それは国際経済学の得意とする分野だった。

・また、韓国や中南米などの債務危機は国際金融論の知識が動員された。

 

・これによって、開発経済学は新たな展開や問題を分析するために、それまでは開発経済学とみなされていなかった分野の経済学を自身のうちに組み込み、自らを新しく定義しなおしたのである。

 

構造調整の時代 1980年代

 

・1980年代に入ると、貿易収支赤字が継続し、累積債務の支払いに困難を来した多くの途上国に対して、世界銀行は構造調整貸付を開始した。

・これは純粋に債務支払いを助けるための援助であり、返済に充てられるので新しく借りた資金の返済計画がたたない。そこで、貸し手が借り手の途上国の経済政策に対して条件(コンディショナリティー)を付けたり、意見を述べたりした。この試み全体を構造調整と呼ぶ。

 

・これまでは、プロジェクト援助と呼ばれる、発電・灌漑などのプロジェクトごとの援助が主流だった。



・この時期は財政均衡が重要視され、財政学が活躍した

・しかし、開発経済学と財政学は全く異なる学問のため、開発経済学に取り入れられなかった

・つまり、開発経済学の分野は開発経済学者の手の届かない範囲まで膨張したといえる

 

膨張する開発経済学

 

・1980年代以降は財政学のみにとどまらず、ゲーム理論マクロ経済分析からも影響を受けることとなった

 

ゲーム理論の応用

・途上国では、競争的な市場とは異なる取引形態が観察される

 

マクロ経済分析

内生経済成長理論:1人当たりの経済成長に対する経済政策の長期的影響を分析することが可能になった。

⇔新古典派経済学の成長理論「長期の一人当たり経済成長率は経済政策の影響を受けない」

 

次からは中身に入っていきますよー

 

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