現代企業を歴史的にとらえる経営史。今日はその中の 繊維 についてみていきます。
東レ、クラレ、帝人、旭化成などなど
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基礎の基礎レベルなので、学部入学したての方や社会人の方にもなじみやすい内容になっています。
参考はこちらの本。カラーで読みやすいのでおすすめ。
「コア・テキスト 経営史」 粕谷誠 新世社
就活にも使える産業分析 繊維
近代的綿工業
綿紡績業
紡績(綿花から糸を作る)
・日本では15世紀末に始まった
・江戸時代は手作業が中心
・薩摩藩が1870年に工場を建設する。しかし、河川流量が不安定、技術者の不足(立地)、日本の短繊維綿花がミュール紡績機に合わないため、うまくいかない
・最小に軌道に乗ったのは、大阪紡績会社。渋沢栄一が中心。
・安定した蒸気機関、綿花集散地の大阪、短繊維に合ったミュール機を採用
・成功して企業勃興を招く
綿織布業
織布(糸を布に織る)
・鹿児島紡績所では力織機が導入されたが、糸の品質から利用できなかった
・丈夫な輸入糸を経糸に、在来綿糸を緯糸にすることで価格の低下を図った
・紡績工場が営む織布部門を兼営織布と呼ぶが、その数は上昇していく
綿紡績業の多国籍展開
・五大紡 … 東洋紡、大日本紡績、鐘淵紡績、日清紡績、富士瓦斯紡績
・1915年をピークに綿糸輸出が減少するため2つの方法で対応する
① 在華紡 … 中国現地の日本人経営紡績会社。中国の近代化により日本の輸出が減少していったが、中国現地生産によってシェアを拡大。さらに中国からインドへ輸出していた。
② 自動織機の導入(技術革新) … 糸の補充を自動化。省人力化。豊田自動織機や遠州織機に代表される
・工場法改正により女子工員の深夜残業は1929年に禁止された
レーヨン工業の勃興
レーヨンの勃興と紡績会社の対応
・19世紀末にレーヨン(人絹)が開発された。ビスコース法による。木材パルプのセルロースと苛性ソーダから製造するもの。
・銅アンモニア法が開発。綿花の実についた短い繊維(コットンリンター)を銅アンモニアで溶かしてセルロースを得る。
・日本では1918年帝国人造絹糸(帝人)が設立され欧米の機械装置を導入した。
・野口遵はドイツからビスコース法を導入し、旭絹織を設立
・また日本窒素肥料と旭絹織は合併して旭ベンベルグ絹糸(旭化成)を設立
・1926年にレーヨン関税の引き揚げ・基本特許期限切れから東洋レーヨン(東レ)、昭和レーヨン、日本レイヨン、倉敷絹織(倉敷レイヨン、クラレ)が参入
合成繊維の登場
十大紡
・十大紡 … 五大紡+ 倉敷紡績、大和紡績、呉羽紡績、敷島紡績、日東紡績を合わせて10。日中戦争後、繊維は民需品ということで統廃合が行われた。
・戦後は膨張した事業範囲を整理。例:呉羽紡績から呉羽化学工業が独立。鐘淵紡績が鐘淵化学工業を独立など。
合成繊維への多角化
・戦時中に開発されたナイロン、ポリエステル、アクリルが戦後育成される。
・東レがデュポンと契約し、高額な特許料を支払いナイロンの製造・販売に成功
・ポリエステルはイギリスのICI社と東レ・帝人共同で大成功した。
・アクリルは多くの会社が参入したが、毛糸需要が見つかるまで時間がかかった
・こうした合成繊維の急成長には石油化学工業の発達があった
・オイルショックにより原料が高騰し不況。1978年特定不況産業安定臨時措置法で共同設備廃棄が行われた
成熟化と多角化
・繊維産業は途上国の追い上げにより苦境に陥ったが、高品質化による対応を行っている。
・しかし、どの企業も行うことができるので、途上国の追随を許した
・1980年代後半の円高局面では途上国の競争力が強く維持が難しい。
・そこで関連多角化が求められている。
・倉敷レイヨンはビニロンの原料であるポバールが糊。ボンドなどに使われた
・非関連多角化では日東紡績の断熱材などの開発が有名。またカネボウは合成繊維、化粧品、食品、薬品、住宅を主要事業として買収を進めコングロマリットを形成
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